皆川広照公・皆川氏

『皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む』は、皆川広照の失脚から、再起を賭けた大阪の陣とそのあとまでが描かれています。

その前に……「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「現代語訳 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

皆川広照関連5冊目として2025年6月刊行

栃木市が誇る戦国武将といえば、皆川城の最後の城主「皆川広照」です。
関連冊子を4冊発行してきた小松義邦氏が、5冊目として2025年6月に発行したものが、『皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む』です。

読みどころ1 「幸嶋若狭大坂物語」の初の活字化・初の口語訳(=現代語訳)

読みどころのひとつは、『幸嶋若狭大坂物語』です。これは、皆川広照・隆庸父子が皆川家の再興を賭けて参加した「大阪の陣」の様子を、共に参加した、広照の重臣の幸島若狭(こうじまわかさ)が、戦地にて日々書き付けた戦いの記録です。
江戸時代以降、さまざまな史料や研究書で引用元とされてきながら、活字化されてこなかったその書の、初の口語訳(=現代語訳)です。

読みどころ2 前説と解題

それだけでも価値あるものですが、さらに小松義邦氏は、この書の解説として、「前説」「解題」を記述していて、そちらも大きな読みどころとなっています。大阪の陣の理解を深めるための歴史的な流れについての解説とともに、下記が詳細に描かれているのです。

○皆川広照の失脚
○(失脚後の)皆川老圃斎(ろうほさい)と智積院(ちしゃくいん)
○広照・隆庸の動き~冬の陣から夏の陣へ~
○父子それぞれの陣借り先について
○若江口での戦いと隆庸の奮戦
○まだ来ない春
○皆川家の再興
○徳川秀忠・家光に信頼された広照父子 広照、御伽衆に抜擢される
○その後の皆川家

前説・解題で、皆川広照の失脚以降が鮮明に描かれています

この書のまえがきで小松義邦氏が書いているように、皆川広照の、皆川城主だった全盛期のころの姿はよく知られるところですが、家康の勘気を受けて失脚して以降について詳しく書かれた書はありません。唯一、皆川家の子孫の皆川又太郎氏が非売品として昭和五十二年に作成した『皆川歴代記』があり、小松義邦氏が口語訳(=現代語訳)で発行しているのですが、「代々伝わる古文書を読み下し文として残したものであるため、口語訳で読みやすくはしたけれど、誰にでもわかりやすい内容・記述というわけではない」という状況です。

そうしたなかで、本書は、上記のような章立てとなっていて、「広照の失脚から再興、その後までを、わかりやすくまとめることができた」というものなのです。

小松義邦氏が「皆川家に関心をもたれる方への大きな贈り物として受けとっていただけるのではないかと思う」と書かれた、まさにそういう書となっています。

改訂版について

初回本を出して間もないのですが、より分かりやすく構成を組み替え、新しい情報も追記した「改訂版」が発行されました(初回本にあった「藩鑑」の原本・読み下し文はなくなっています)。当記事は、その改訂版に基づく内容になっています。上記表紙も改訂版のものです。

貴重な一冊

巻末記載の参考図書の多さからもわかるとおり、さまざまな書にかかれた内容を、小松氏が調査力と記憶力で縦横無尽に発見して引き出して、事柄と事柄を歴史的な観点から論理的につなげる力で、鮮やかに、当時の広照・隆庸父子の姿を描いていて、貴重な一冊となっています。

「藩鑑(はんかがみ)」の皆川の部の口語訳(=現代語訳)も

なお、「藩鑑(はんかがみ)」という書の皆川の部も、小松義邦氏による口語訳(=現代語訳)が掲載されています。

カラー写真8枚を掲載

栃木市西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)撮影によるカラー写真が、金剛寺所蔵の広照の鎧、幸島若狭の眠る幸島家の菩提寺「傑岑寺(けっしんじ)」の風景、等、8点掲載されています。

下野新聞 掲載記事

刊行情報

※「幸嶋若狭大坂物語」は、書名としては「幸島若狭大坂物語」と表記する場合もあるそうですが、この冊子では、書名は「嶋」の字を、人名は「島」の字を採用しています。

2025年6月(令和7年)
A5版
著者/小松義邦
発行/小松義邦

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
――――――
在庫があるので、800円+送料210円でご購入いただけます。併せて下記もご購入可能です。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

コラム/江戸時代に書かれた戦記物「皆川正中録」(主人公・皆川広照)の「唯一の現代語訳」の価値をご紹介します。※2025年7月再販

皆川正中録 再販

2025年7月、小松義邦氏による現代語訳「皆川正中録」が再販となりました。初版は2022年(令和4年)6月で、ご要望が多かったための再販決定です。唯一の現代語訳です。(以前の書名「口語 別本 皆川正中録」を2025.12の5刷で「現代語訳」と改訂しました)
詳しくは→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

この冊子自体のご紹介は コチラの記事 でしています。

唯一の現代語訳ができるまで、をご紹介

今回は、小松義邦氏に、複数の史料を出してもらいましたので、唯一の現代語訳ができるまでの流れをご紹介したいと思います。

そもそも皆川正中録とは

「皆川正中録」は、皆川城の最後の城主であり栃木城を築いた「皆川広照」を筆頭とする皆川氏の戦記物で、17世紀から18世紀初期頃に書かれたとされています(『栃木県大百科事典』)。多くの人たちに親しまれ、江戸時代には筆写して家に残すほど、地元では歓迎されてきました。
作者の記載がどの写本にも載っていないため、作者名はわかりません。これだけ長く存在が知られている戦記物なのにそんなことあるのね、と驚きですよね。

小松氏によると、登場人物たちが実在の武士たちの名前であるため、複数の地方自治体史(町史・村史)に、史実と誤解されて、誤った記載が残っているそうです。


史料(1)/ 写本1(原文)

まずは、こちらが、栃木県立図書館で入手できる写本です。

江戸時代に誰かが原文を手書きで写したものです。コピー機のない時代、手元にこの戦記を残したいと思った人々が、こうして手書きの写本を作っていたわけです。
小松氏いわく、「関心があって目にしていたけれど、当時の我々は『西方町郷土史研究会』だったので、他の市町村についての古文書を解読する流れはなかったのだよね」とのこと。
ちなみに、漢字だけではなくカタカナが使われていることが意外でした。


史料(2)/ 明治時代の書籍(読み下し文)

明治30年(1897年)に、皆川正中録の一部を講談調の読み下し文にして、「皆川戦記」のタイトルで書籍が出版されました。何かの雑誌に30回にわたって連載されたものをまとめたものだそうで、東京市日本橋の一二三館(ひふみかん)と栃木町の白石東光堂の連携での出版です。それがこちらです。(コピーしたものです)

原文を「読み下した」もので、漢字のすべてにフリガナがついていますが、読点(、)はあるものの句点(。)がなくて一文の区切りがわからないものとなっています。現代ではなかなかこれを読み通せる人は少ないでしょう。


史料(3)/ 昭和の書籍(読み下し文)

昭和11年(1936年)に、鹿沼町の「下野郷土史研究会」から5巻本(第五巻が欠落)(著・大谷瀬平)が出版され、昭和38年(1963年)に、第五巻を補った全6巻の「考註 戦国大名秘録(皆川正中録・全六巻)」(著・日向野徳久)が出版されました。

両書籍とも「読み下し文」で、句読点はありますが、ふりがなが全くありません。


原文と読み下し文のみでした

「皆川正中録」は栃木エリアで有名でありながら、ずっと上記の「原文」「明治の読み下し文」「昭和の読み下し文」でしか存在していませんでした。


史料(4)/ 写本2(原文)――中田益雄家文書

昭和55年(1980年)に、当時の西方町本郷の中田益雄家から二千余点の古文書が県文書館へ寄託されました。その中に全六巻の皆川正中録の写本があることを、西方町郷土史研究会の荒川哲男氏が発見しました。コピーした冊子がこちらです。

小松氏いわく、「西方町の旧家から出た、ということで、私たち『西方町郷土史研究会』が動くことは自然でしたので、荒川哲男氏が解読して解読文を作成し、その解読文をベースに私が読み下し文と口語文を作成して、解読文の冊子と読み下し文・口語文の冊子を『西方町郷土史研究会』で発行しました」。

ちなみに、冒頭の写本は漢字とカタカナで書かれていますが、こちらは漢字とひらがなです。

▼こちらが荒川氏の解読文の冊子です。

▼そして、こちらが小松氏の「読み下し文・口語文」の冊子です。

 ▽読み下し文のページ(下部に小松氏による注釈付き)

 ▽口語文のページ

上記冊子は、B5サイズで、下部に言葉の注釈を多く入れた読み下し文と口語文を掲載した作りでした。

2022年 現代語訳冊子の発行

令和6年(2022年)6月、小松氏が、現代語文だけの冊子作成を行うことを決め、その際に、A5サイズで読みやすいスタイルに改訂しました。

と、そのような流れで、現代語訳「皆川正中録」が誕生しました。口語で皆川正中録が読めるのはこの冊子だけです。現代語なので、物語にすんなりはいりこむことができ、物語を楽しめます。

刊行情報

中田益雄家文書
解 読/荒川哲男
現代語訳/小松義邦
発 行/小松義邦
※栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。

2025年7月再販 の詳細は下記です
「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

この書籍の紹介ページは下記です
「口語 別本 皆川正中録」は、誰もが気楽に楽しめる、初の現代語訳です。皆川広照が活躍します。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ 〜皆川広照が活躍する江戸時代の戦記物フィクションの唯一の現代語訳〜

2022年(令和4年)6月に小松義邦氏によって発行された「現代語訳 別本 皆川正中録」が、再販となりました。皆川正中録の全六巻にわたる唯一の現代語訳です。
(以前の書名「口語 別本 皆川正中録」を2025.12の5刷で「現代語訳」と改訂しました)

西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)が撮影した、城址やゆかりあるお寺などのカラー写真20枚が巻頭を飾り、訳者・小松義邦氏による解説・補足説明が随所に挿入されていて、300年前に書かれた「皆川正中録」を現代の私たちが気軽に楽しむことができる一冊となっています。

この本についての詳細は、下記2つの記事をご覧ください。
「口語 別本 皆川正中録」は、誰もが気楽に楽しめる、初の現代語訳です。皆川広照が活躍します。

コラム/江戸時代に書かれた戦記物「皆川正中録」(主人公・皆川広照)の「唯一の現代語訳」の価値をご紹介します

2025年7月再販版
A5版
中田益雄家文書
解 読/荒川哲男
現代語訳/小松義邦
発行/小松義邦
価格/1300円 ※郵送の場合はプラス送料210円。
以前の版との相違点:A4サイズの地図4点をなくしました

※一般流通書籍ではなく、手作り冊子ですので、ご了承の上お求めください。ワープロでの打ち出し原稿を、印刷・製本しています。普段は製本まで小松義邦ご夫婦による手作業なのですが、この再販版は印刷所による印刷・製本です。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

小松義邦コラム/皆川広照の「皆川家臣帳」の宿題の答え――大坂の陣の討死者のこと 2025年10月

このコラムは、小松義邦氏による、2025年10月12日のコラムです。※10月5日公開のコラムを改訂しました。▼

皆川家の討死者名簿について

2025年1月に、皆川家の家臣の名簿3点を、解説を入れて冊子として発行した。その後、2025年6月に『皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む』を作ったあと、2021年に私自身が復刻した近藤兼利 著の「皆川広照伝」の末尾の付録に、582名掲載の「皆川家臣討死者記録」を発見。それを加えて名簿4つとした改訂版を「皆川家臣帳」と名付けて、2025年9月に発行した。

「皆川家臣帳」2025年9月発行版での「今後の研究課題」について

その2025年9月発行の「皆川家臣帳」の「解題」に「晴天の霹靂」と書かざるを得ないほどに私が驚いたのは、「皆川家臣討死者記録」の最終頁に「元和元年五月六、七日大坂の陣」という項があって、そこに八十三名の名前があったことである。人数が多すぎるのである。

私は、解題の100頁に「なぜ『皆川家臣討死者記録』にこのような記述が残されていたのか、その意図を汲み取ることは編者(小松)にはできない。とはいえ、これはこれで、今後の研究課題とされるべきであろうと思う。」と書いた。

その後、考察を重ね、私としての結論を得たので、お伝えしたいと思う。形式としては、「皆川家臣帳」増刷の際に、最終項として追加するであろう形として、記載させていただく。

「大坂の陣の討死者八十三名」のこと

……

さて、最後に大変大きな命題が顔を出してきた。それは従来までの皆川氏関連書では窺えない「大坂夏の陣」での八十三名の討死者の名簿である。この八十三名の中には、本書78頁にある「皆川家臣討死帳」の大坂の陣討死者七名の内の、膝附大膳以外の六名の名もある。(膝附大膳については後述)

広照父子と共に大坂の陣へ参加した人数は、近藤兼利氏は三十四名、大森隆司氏は三十七名とそれぞれの著書にあるので、ここにきて八十三名の討死者があったという「討死者記録」が残されていたということは、筆者にとってはまさに「晴天の霹靂(急に起きる雷の大きな音)jという言葉そのままの衝撃であった。

有り得ない、からの考察

だが、これほどの討死者を出せるほどの兵力で広照らが参戦できたとはとても思えない。この「討死者記録」が前述の両氏の著書の「付録」として付けられていながら、両氏がこのことに一言も触れていないのも、同じ判断からかもしれない。

ではなぜ「皆川家臣討死者記録」にこのような記述が残されていたのか、この点について少し考えてみたいと思う。

この「記録」の書式の流れから見れば、ここに掲示された八十三名の名はどう見ても「討死者名」である。先述したように、名簿冒頭の「布施木平左衛門・今川民部・竹沢佐五郎(佐太・柴田下総・辺見団蔵・安生産内」の六名を見れば、本書78頁の「皆川家臣討死帳」の記載内容と同じであることから、「討死帳」として受け取らざるを得ない気になる。

名簿から抜けていた膝附大膳

なお、この「討死帳」にある膝附大膳の名が「討死者記録」に記されていないのは正しいことである。膝附大膳は、後年(日付未記載)「膝附大膳覚書」を残していて、その文の書き出しに
「先年慶長卯の年、大坂御陣の時、私は皆川志摩守隆庸様のお供をして、井伊掃部頭様の陣に加わり功名を挙げました。」(意訳)
とあるので、むしろ、前記「討死帳」に名があることが誤りなのでる。

ちなみに、「皆川家臣討死帳」の天正十二年の「川原田」の項に馬廻り膝附大膳の名があり、天正十六年の「草倉」の項には大目付膝附大膳亮(だいぜんのすけ)の名がある。

有り得ない、理由

さてそれはそれとして、大坂の陣での討死者が八十三人というのは有り得ないことであって、その理由は大きく分けて次のように二つある。

その―つは、これほどの人数の討死者を出す戦いとなれば、数百人規模の軍団で交戦して大敗した時ということになる。しかし、徳川の関連家臣と認められていない者たちの陣借り集団がそれほどの規模で参加できるわけがない、ということである。

二つ目は、ここに記された氏名を、五十音順に並べ換えてみると見えてくる。

元和元年五月六、七日 大坂の陣

安生産内 安生大膳 安生利左衛門
新井豊前守 新井丹後守 新井図書 新井助八郎
荒井重左衛門 荒井新左衛門
飯田但馬
池田重兵衛
石川太左衛門 石川左内
今川民部
氏家和泉守 氏家三太夫 氏家善次郎 氏家吉右衛門 氏家与四郎
氏家源之丞 氏家監物 氏家清七 氏家利兵衛 氏家清左衛門
大沢兵左衛門 大沢伝右衛門 大沢四郎衛門
大島新兵衛 大島市左衛門
小倉丹波守 小倉清兵衛
押山嘉右衛門
小曽戸惣左衛門 小曽戸三右衛門
小曽根僭濃
落合越前守 落合与惣左衛門 落合文右衛門 落合重助
柏倉豊前守 柏倉九左衛門 柏倉加左衛門 柏倉次左衛門
加藤新左衛門
小竹孫左衛門
佐熊淡路守
柴田下総
関口若狭守 関口善右衛門 関口清太郎
早乙女久助
高田主水 高田権兵衛
高林所左衛門
竹沢佐五郎
田城久左衛門
立川監物 立川吉之丞
田中久作 田中右衛門
中田四郎兵衛 中田九兵衛
仁田儀左衛門
新田内匠
日向野次右衛門
福田孫右衛門
布施木兵左衛門
辺見団蔵
巻島主水
松山肥後守 松山左次兵衛 松山長左衛門
松本伊賀守 松本四郎兵衛 松本平右衛門
森田伊豆守 森田長右衛門 森田三右衛門 森田清蔵 森田清左衛門
渡邊藤左衛門 渡邊久右衛門 渡邊隼人

単独名も多いが、何々の守という受領名を持つ者を頭にして三~八人もの同族が名を連ねている家が大半であり、これはあきらかに一族旗揚げ(挙兵)の姿である。これが、このまま大坂の陣での討死者となれば、下野皆川の地は大パニックに陥ってしまう。それは、領主としての皆川家が存在しない限り何の補償も出ないからである。

したがって、これはどう見ても有り得ないことであるといえる

結論 ―― その名簿は何か

以上のことから、この「大坂の陣」の部分に限っては「討死者記録」ではなく、「大坂夏の陣」への参加を希望して、武州(江戸)千住の広照父子の宿へ集まった(「皆川歴代記」)人の「交名帳(こうみょうちょう)」、または、事情で参加できなかった人たちの無念の思いのこもった「連判帳」ではないかと思われる。
※「交名帳」とは、「主旨に賛同する人々の名を連ねた文書。」(『戦国古文書用語辞典』)

それは、本書80頁の「大坂表供奉」(大阪の陣に参加した者の名簿)三十四名の内の前記討死者六名を除く他の者の名が一人も入っていないところからも推測されることである。

慶長十四年に家康の勘気を受けた広照に連座して浪々の身となり、多くの旧臣に助けられて再起への手がかりを掴みかけた隆庸と共にその身を挺して功名を挙げたいと願って、                                                          はるばる下野から駆けつけた人々の、熱い思いのこもった連判状の写しであったと思いたい。

ここで再度名前を出すが、膝附家は皆川家の重臣で、同じ官途名の膝附大膳が、過去に二人も討死していることは先にも述べた。令和三年に県立栃木博物館で行なわれた「長沼氏から皆川氏へ」の展示会場の展示物に膝附家に関する書状の写しが六点あり、そのうちの「五十」に「皆川隆庸官途状写」があり、『図録』に付けられた「読み下し」は次のようになっている。

  官途の事申し上げるに付き、すなわちこれを成し下さる者なり
       慶長十五 霜月吉日 隆庸(花押影)
       □□大膳亮

[解説]
皆川隆庸は、慶長十四年( 一六〇九)に父広照が徳川家康の勘気をこうむって所領を没収されたのに連座して没落した。これにともない、膝附常正も牢(浪)人を余儀なくされたものとみられるが、その後も隆庸への奉仕を怠らなかったため、その恩賞として大膳亮の官途を与えられた。大膳亮の実名は、膝附家系図では常正とされる。

このように、主家を失った者の再仕官の道は険しく、旧主を助け、再起への努力を続ける人たちの多い時代であった。このとき、費用不足などで戦旅を断念せざるを得なかった者たちの尽忠の思いをこめた名簿と、大坂の陣での討死者の名簿とが合わせて書き写されてきたものが、「討死者記録」であろう。

所感

私のたどり着いた結論が正解であるとするなら、旧主家のため、ひいては自分たちのためにと張り切って皆川を出て江戸の外れの千住の宿に集まってはみたものの、百人もの人数での陣借りは難しいという状況と、全員の戦費・旅費を自分たちでまかなうことができないという現実に直面し、さぞや辛いことだっただろう。

地元の声援を受けて出てきたけれど、資金がないという現実があり、協議した結果として主従合わせて三十六名のみが大坂への途につくことになり、別れの盃を交わすことことになる。そして、残留する者たちが、皆川の地へ帰るにあたり自分たちの志をせめてもの形にして残したいとの思いで、その席で名前を書き連ねた連判状を、広照に差し出したのだと思う。

その連判状が、その後も大切に伝えられ次々と書き写され、討死した六名の名とともに村方に広く伝えられ、どこかで一枚に書き継がれた際に「討死者記録」とされてしまったのだろう。

この一連の名簿の向こうに、千住での別れの宴の情景が見えるようで、胸が詰まる。思いのこもった連判状と受け止めて、この「皆川家臣討死者記録」を大切に残したいものである。

刊行情報

『皆川家臣帳』
2025年9月 改訂版発行
A5版
編集・解説執筆/小松義邦
発行/小松義邦
在庫あり 600円(郵送の場合はプラス送料210円)

詳しくは下記ページをご覧ください。
「皆川家臣帳」は皆川広照を筆頭とする皆川家の「家臣たち」の名前を後代に残します。2025年9月改訂版発行

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
口語 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「皆川家臣帳」は皆川広照を筆頭とする皆川家の「家臣たち」の名前を後代に残します。2025年9月改訂版発行

「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「現代語訳 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ
当「皆川家臣帳」改訂版発行のおしらせ
こちらの「皆川家臣帳」の改訂版を2025年9月に発行しました。600円+送料210円です。

改訂前

皆川広照公を筆頭とする皆川家の家臣の名簿3つを、小松義邦氏が編集し、解説を入れて2025年1月に、「旧代皆川家臣記 皆川先祖譜代家臣 皆川家臣討死帳」として発行しました。
完売後、写真ページを2ページに減らした「軽装版」を発行しました。

2025年9月改訂

2025年9月、家臣の名簿をさらに1つ加えた改訂版を「皆川家臣帳」との冊子名で発行しました。
合計延べ数(重複名あり)4143名です。

発行にあたって

小松義邦氏は、初回本の「あとがき」に、下記のように記しています。
「この時代を支えた皆川家家臣の大きな力について改めて考えさせられました。皆川家の家臣、そして、時代を支えるために命を空しくした方々のことを思う時、これらの人々の名前だけでもぜひとも後代に伝えたいと思ったことでした」。
そうした思いでの発行となっています。

そして、改訂版の「あとがき」によれば、「ルーツ探しの大きな手掛かりになる」との反響を多くいただいているとのことです。

◎旧代 皆川家臣記

広照公在世中の天正15年(1587年)に、広照公から「官途」を授与された者たちの名簿。1216名。

◎皆川先祖譜代家臣

お家復興後の隆庸の時代の寛永12年(1635年)に皆川家の家臣たちが歴代家臣の霊を慰めるために米350俵を奉納したときにまとめ上げた、いわば「尊霊名簿」。1842名。

◎皆川家臣討死帳

寛政11年(1799年)、13代庸清がまとめたもの。日付・肩書付き。503名。

◎皆川家臣討死者記録


改訂版に新たに加わったのが、この582名で、小松義邦氏が、自身が復刻した近藤兼利著「皆川広照伝」の末尾の付録にて発見しました。

特筆すべきは、小田原城での35名と、大阪夏の陣の83名とのこと。
特に大阪夏の陣の討死者として83名の名前があることは、冊子内にての小松氏の記述によれば「従来の大坂の陣への参戦情報からは考えられないことである」「今後の研究課題とされるべきであろう」というものです。

(こちらについては、冊子発行後に小松氏が考察したコラムがあります。下記です。
小松義邦コラム/皆川広照の「皆川家臣帳」の宿題の答え――大坂の陣の討死者のこと 2025年10月 )

下記のように名簿をメインとした冊子です

名簿ごとに小松氏の解題が付いています

写真も掲載

巻頭4ページは、皆川家の菩提寺である金剛寺さんと、傑岑寺さんの多大な協力を得て、西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)が撮影したカラー写真が彩っています。

刊行情報

2025年1月(令和7年)
→ 2025年5月軽装版発行
→ 2025年9月改訂版発行
A5版
編集・解説執筆/小松義邦
発行/小松義邦

栃木市の各図書館では、初回作成の3名簿掲載の版をご覧いただけます。
2025.9現在、「改訂版」を600円(郵送の場合はプラス送料210円)で販売中です。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

『口語 皆川歴代記』を読むと、皆川広照公の晩年や皆川家の子孫について知ることができる

その前に……「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「口語 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ
当「口語 皆川歴代記」改訂版発行のおしらせ
当「口語 皆川歴代記」の改訂版を2025年8月に発行しました。800円+送料210円す。

皆川広照の後期や子孫について書かれています

皆川城の最後の城主「皆川広照」は、栃木市が誇る戦国武将です。

その活躍を記した書は多数あり、小松義邦氏の冊子の中にも「皆川正中録」「皆川広照伝」がありますが、広照の後期や子孫について読みやすく書かれたものは、なかなかありません。

そこで、小松義邦氏が、2024年(令和6年)11月に発行したのが、「口語 皆川歴代記」です。

子孫の皆川又太郎氏発行の非売品冊子の口語訳です

原著は、皆川家の子孫の皆川又太郎氏が、1977年(昭和52年)に非売品として発行した書籍『皆川歴代記』で、皆川家に伝わる古文書を読み下し文として残したものです。皆川広照公が主君忠輝に関連して一時期には失脚したことや、子息の隆庸公や他の子孫のその後について記されています。

今回それを、小松氏が、皆川又太郎氏のご家族からご快諾をいただいて、口語訳として復刻しました。

小松義邦氏のあとがきによれば、約15年ほど前に栃木市図書館で閲覧したことがあったそうで、「一般図書として、前記二冊の冊子と共に、多くの人に手軽に読み継いでもらえるものとしてなんとか残したいと思いました」とのこと。

写真10ページを掲載

この厚さ1cmほどの書籍は、冒頭を、栃木市西方町の写真家・古澤悦夫氏撮影によるカラーのフォトギャラリー10ページが飾っています。

当冊子の特徴

現代人には読みづらい「読み下し文」が、小松氏による2カ月にわたる作業によって口語訳されて、誰にでも読めるものとなっていることが素晴らしく、盟友古澤氏によるカラー写真があることで、過去の歴史に、確かにあったこととしての息吹が与えられています。

そして、全体約160ページの、前半約80ページが「皆川歴代記」で、残り約80ページが、「付録/皆川歴代記理解のために」となっていて、後者には、皆川家を語る多数の記事が引用として掲載されています。歴史に造詣が深く、猛烈な読書家である小松氏でなければできない偉業だと思います。また、小松氏の複数のコラムも掲載されています。

2025年8月の改訂版について

初版では、巻末に、家臣団の成り立ちや戦歴がくみ取れる「皆川歴代家臣着当討死帳」を付けていましたが、その後、そちらは別冊子『皆川家臣記・皆川先祖譜代家臣・皆川家臣討死帳』に組み込み(その後、改訂して『皆川家臣帳』として発行)、2025年8月の改訂版では外しました。
それに代わり、下記を追加しています。

◎『徳川實紀(じっき)』に遺された皆川広照・隆庸父子

口語訳10ページ&解説4ページ
新たに小松義邦氏が「徳川實紀(じっき)』に皆川父子の大坂の陣以降についての複数の記述を発見したので、それらの箇所の小松義邦氏による口語訳を掲載しています。解説「編者独言」もあります。

◎水谷(みずのや)と皆川について

13ページ
上の記載に出てきた水谷(みずのや)家について調べ、小松義邦氏による口語訳を掲載しています。皆川家との関係も記載されています。

刊行情報

初回版 2024年11月(令和6年)
改訂版 2025年8月(令和7年)
A5版
原本著者/皆川又太郎
口語訳・編集/小松義邦
発行/小松義邦

初回冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
改訂版を800円+送料210円でご購入いただけます。併せて下記もご購入可能です。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
口語 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「現代語訳 別本 皆川正中録」は、誰もが気楽に楽しめる、初の現代語訳です。皆川広照が活躍します。

誰もが気楽に楽しめます

2022年(令和4年)6月に小松義邦氏によって発行されたのが、「現代語訳 別本 皆川正中録」です。皆川正中録の全六巻にわたる初の現代語訳で、誰もが気楽に楽しめる、画期的な現代語訳となっています。(以前の書名「口語 別本 皆川正中録」を2025.12の5刷で「現代語訳」と改訂しました)

★2025/6/23 多くのご要望を受けまして、再販となりました。
詳しくは→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

皆川正中録とは

17世紀から18世紀初期頃に書かれたとされる「皆川正中録」は、皆川城の最後の城主であり栃木城を築いた「皆川広照」を筆頭とする皆川氏の軍記ものです。皆川氏は地元にとって歴史上の大切な存在でありながら、治世や戦歴の資料が少ないため、「皆川正中録」は、虚構の軍記ものながら、多くの人たちに親しまれ、筆写して家に残すほど地元では歓迎されてきました。

現代人には読むのは難しいものでした

ですが、これまでに発行されたものは、江戸時代の写本にあった原文と、昭和に発行されたフリガナなしの読み下し文のみのため、常用漢字と現代かなづかいで育った私たちには、読むには難易度の高いものとなっていました。

小松氏がご自身用の資料として作成した「石裂山考(おざくさんこう)」にも、「この物語(皆川正中録)の全体を読んだことがあるという人は意外に少なく、『図書館で見つけて喜んだまでは良かったが、漢字が多くあって、しかもフリガナがないので途中までしか読めなかった』とか『古書店で見つけて買ってきたが、結局は読み通せないままになっている』という声を聞く」と記されています。

1980年に西方町でも写本が発見されました

実は1980年(昭和55年)に当時の西方町本郷の中田益雄家から二千余点の古文書が県文書館へ寄託され、その中に全六巻の皆川正中録の写本があることがわかり、西方町郷土史研究会の荒川哲男氏が解読を行い、そこから小松義邦氏が読み下し文と現代語訳文を作成して、冊子として残したことがあったそうです。

2022年、小松義邦氏がこの現代語訳冊子を発行

2022年、「皆川広照伝」を復刻し、皆川正中録の巻五から翻案された「炎の城 ―西方城物語―」を復刻した流れを受けて、改めて、現代語訳を一冊の本として作成することを思い立ったとのことです。

この本は、西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)が撮影した、城址やゆかりあるお寺などのカラー写真20枚が巻頭を飾り、訳者・小松義邦氏による解説・補足説明が随所に挿入されていて、300年前に書かれた「皆川正中録」を現代の私たちが気軽に楽しむことができる一冊となっています。

下野新聞 掲載記事

刊行情報

2022年5月(令和04年)
A5版・192P
中田益雄家文書
解 読/荒川哲男
現代語訳/小松義邦
発 行/西方南部地区コミュニティ推進協議会
こちらは、栃木市の各図書館でもご覧いただくことができます。

2025年7月再販版情報

2025年7月再販版は
発行/小松義邦
価格/1300円 ※郵送の場合はプラス送料210円。
詳しくは→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ
――――――

コラムで詳細を紹介

2025.7.2 コラムをアップしました。コラム/江戸時代に書かれた戦記物「皆川正中録」(主人公・皆川広照)の「唯一の現代語訳訳」の価値をご紹介します

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「皆川広照伝(近藤兼利 著)」が、63年ぶりに、読みやすくなって復刻されました。

その前に……「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「口語 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

「皆川広照伝」読みやすくなって復刻

1958年(昭和33年)に発行された、近藤兼利 著の「皆川広照伝」が、2021年(令和3年)、読みやすくなって復刻されました。

発行は「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」で、復刻者は小松義邦氏。冒頭に、大川秀子栃木市長からの祝辞が掲載されています。

皆川広照とは

皆川城の最後の城主で栃木城を築城した皆川広照は、栃木市の皆川エリアでは有名な歴史上の人物で、江戸時代に書かれた軍記もの「皆川正中録」の主人公のひとりです。

幻の書だった「皆川広照伝」

ですが、復刻者の小松義邦氏のあとがきによれば、「現在では、皆川氏、特に皆川広照についての書籍としては『下野戦国史~皆川広照の生涯』(大森隆司著)しか目に止まりません。この書の前書きで大森氏が『皆川広照についての最も信頼性の高い歴史研究書』と評しておられる近藤兼利著『皆川広照伝』も、昭和33年発行のもので現在では幻の書になっています。図書館で読めたとしても経年で紙の変色が激しく、活字も小さいので、非常に読みづらい誌面になっているのを残念に思っていました」という状況でした。

復刻への流れ

そんなある日、「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」会長の麦倉信二氏が、郷土史家の小松義邦氏に、「『皆川広照伝』の発行人の落合氏から生前、この書の再刊を寄託されたのだけれど、方法はないだろうか」と相談したことから、事態が動きます。

父・小松義邦氏から聞いた話によれば、数日後、麦倉氏のもとを訪れて次のような申し出をしたそうです。

持参したのは、1958年(昭和33年)発行の「皆川広照伝」の、文字が小さく紙が劣化している誌面を拡大コピーして読み取って、新たに入力して打ち出した数ページのプリントアウト。「この形ですべてを入力し直して私家版として作成するのでよければ、再刊できます。手作り製本なので、大金はかかりません。よろしければご協力します」と。

麦倉氏は、そのプリントアウトの仕上がりと入力に要した期間の短さにとても驚かれ、ご自身の長年の願いが叶うその提案に、とても喜ばれたそうです。

そして、復刻のご承諾を発行者の落合氏のご家族から得ることができ、この復刻版が生まれました。

読みやすい紙面

とても読みやすい紙面となっていて、消えかけていた幻の本を現代によみがえらせることができ、大きな意味ある復刻となりました。

カラー写真が巻頭に

西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)による、皆川城や皆川氏の菩提寺である金剛寺や皆川城のカラー写真が、巻頭を飾っています

下野新聞 掲載記事

刊行情報

2021年12月(令和03年)
A5版・173P
原著者/近藤兼利
復刻者/小松義邦
編集・発行/皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
――――――
なお、皆川公民館 窓口にて、700円にて販売しています。ご来訪が難しい場合は、下記からご連絡いただければ、代わりに購入して郵送いたします。
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現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
口語 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

皆川広照・皆川家のバックボーンの「石裂山(おざくさん)」が興味深い

小松氏自身のための資料「石裂山考」

小松義邦氏が2022年に自身のために作成した「石裂山考」という資料があります。多数の書籍や論文の複写を集めたもので、配布物ではありません。「散逸を防ぐために研究資料としてまとめておくことにした」というものです。

なぜ石裂山に惹かれたか

なぜ小松義邦氏が「石裂山(おざくさん)」について考えたのかというと、皆川正中録に「皆川秀光が…石裂の神を信仰するようになった」「広照は……日頃信心する石裂山に向かい…祈りを捧げた」という記述があったためだそうです。

そして、石裂山には、峰をはさんで、鹿沼市上久我に「石裂山加蘇山神社(おざくさんかぞさんじんじゃ)」が、粟野に「尾鑿山賀蘇山神社(おざくさんがそさんじんじゃ)」があって、皆川氏がどちらを信仰していたのかが書かれたものはないようで、小松義邦氏はその点にも関心を持ったそうです。

ここでの掲載内容

この冊子に「まえがき」「あとがき」があり、小松義邦氏の思考の流れが書かれているので、石裂山を研究される方の参考になるのではと思い、ここに編集・抜粋して転載します。

併せて、冊子の目次を、小松義邦氏による「石裂山を知るための資料の紹介」として転載します。

まずは、冊子の目次です。そのあとに、まえがき・あとがきからの、編集抜粋が続きます。

冊子の目次

まえがき・あとがきからの抜粋

(1)石裂山について考えるようになったきっかけ

皆川城内町の街づくり協議会文化部会の麦倉氏の長年の懸案であるという近藤兼利著『皆川広照伝』の復刻版のお手伝いをさせていただいた。

その『皆川広照伝』とペアになる書物に『皆川正中録』がある。

現栃木市周辺の中世の歴史に、皆川広照とその戦物語としての『皆川正中録』は欠かせないものであるが、この物語の全体を読んだことがあるという人は意外に少なく、「図書館で見付けて喜んだまでは良かったが、漢字が多くあって、しかもフリガナが無いので途中までしか読めなかった」とか、「古書店で見付けて買ってきたが、結局は読み通せないままになっている」という声を聞くたびに、このような方々にまず読んでいただいて、それからじっくりと読み下し本に移ってもらえればいいのでは、との思いで、口語訳『別本皆川正中録』の制作を思い立ち、完成させた。

この物語の中で、応永元年の頃(1349年頃)、皆川秀光が将軍に追われて会津田島から都賀郡岩田郷滝の入(たきのいり)に入り、しばらく住まううちに信心の心を起こして石裂(おざく)の神を信仰するようになったという(『口語別本 皆川正中録』13頁)。

その後、天正12年(1584年)に北条氏直らが皆川城に攻め寄せた時、「山城守広照は水浴して身を清め、日頃信心する石裂山に向かい…一心に祈りを捧げた」という(同署73頁)。

この「石裂山の神社」のことが気になり始めた。

石裂山の神が皆川家の背骨(バックボーン)になっているとしたら、もう少しこの山の信仰のことを知りたい、と思ったのである。

そこで、後追い研究になるのだが今までに読んで記憶に残っていた書物や雑誌の記事をもう一度読み直してみたいと思い立ち、手元に積んであったコピーのファイルを捜し、その後に出た書物にも気配りをして図書館通いを続けてみた。

そんなこんなでいろいろ集めた物をまたコピーのままにしておくと紙くずになってしまいそうなので、研究資料としてまとめておくことにした。

(2)各論文等を読んで思うこと

早乙女常郎氏の「勝道伝説と石裂山」(鹿沼市林 第17号)がほとんどすべてを語っていて、細矢藤策氏の貴重な「翻刻 石裂三祠山記」(鹿沼市林 第15号)・「翻刻 おざく山之記」(鹿沼市林 第16号)がその中心にある。

細矢氏の2書は口語訳を作った。この2書を読み継いでゆくと、信仰形態の変化がよく見えて面白い。前書で説く「五心経津尊(ごしんふつのみこと)」の祠が、後世では「御心仏(ごしんぶつ)」から「護真仏(ごしんぶつ)」を経て「御真仏(ごしんぶつ)」という仏に替わり、久我式部が勧請したという「柿ノ本人麻呂(ひとまろ)神社」が「日留神(ひとまるがみ)」に呼び変わってゆくところで変に感心させられた。

また、この資料集の後半に見られる市内川原田町の小野家と賀蘇山神社との関係事項が驚きであった。これら一連の各論を見ていくと、皆川家の石裂山信仰の窓口となったのは入粟野村の賀蘇山神社であろうかと思わせられる。

その理由は、これも早乙女氏が指摘しているように、草鞍戦の26年ほど前に、久我氏の勃興によって加蘇山神社近辺に変革があった。この久我氏らの兵火によって神社が焼け落ちた頃であるとのことで、参拝はもちろんのこと、供物を運ぶ代参も叶わなかったことであろうと思う。一方の入粟野村の賀蘇山神社は、皆川領であったと思われる川原田村・赤津村の信仰団に以前から支えられていたと考えられるので、当時としても、広照の念頭には、入粟野村の賀蘇山神社があったと思われる。

古代の石裂山の神に神位が授けられたことに始まって、驚くほどの参拝客が集まり、山の両側にふたつの神社があった。

それぞれに何があり、どのような推移があったのかをじっくりとお読みいただけるように、順を追って組み立てさせていただいた。

思いもかけない深追いになってしまったが、これはまたこれなりに面白いと思った。

(3)小野氏・川原田の三日月神社のこと

資料後半で読める賀蘇山神社と小野氏の話は、20年前に三日月神社の話と一緒に「目で見る栃木市史」で読んでいたはずであるがなかなか思い出せなかった。市史掲載の三日月神社の話(下記※参照)に興味が沸いて、市史を見終えた足で、そのまま栃木市運動公園の北側にある三日月神社へお参りに行った覚えがある。

※江戸時代後期から昭和の初めにかけて盛〈さか〉った川原田の三日月神社では、1月3日の縁日には参道の両側に何軒も豆腐店が並び、お参りに来た人々がその豆腐を購入して神様に供えるので、神社は供えられた豆腐をうらから豆腐店に売り、豆腐店はまたそれを売る、という、関係者すべて満ち足りて、「豆腐もそれを繰り返しているうちに角が取れてまるくなるという次第だった」という話。

小野氏については、単に書物に遺(のこ)っているというだけではなく、賀蘇山神社に「川原田座敷」と言われる所まであったという記録は、小野家の立派な歴史であり、神社の歴史でもある。また、ひいては栃木市の人たちの確かな歩みでもあったということで、皆川広照家の尊崇した石裂山の神(尾鑿山という文字は地図上には出なくなった)の拝殿は粟野側の賀蘇山神社であったことは充分に考えられる。

太田亮著『姓氏家系大辞典』(角川書店)によれば、小野氏の基本は貴胤(きしゅ)であって、全国的には八十余りの派生があるという。市史にあるような小野朝臣(あそん)道綱の政変上の罪ということはよくあることで、81頁にあるように天皇家内部の争いから伏見天皇暗殺未遂事件が起こるが、それにからまる前後の事情の中からの罪によるもの(ある意味では政治的な犠牲者)であったのではないかと推測される。

では、その流罪になった先がなぜ下野国都賀郡(ごおり)の川原田かというと、川原田あたりは「皆川荘」内であったということと大いに関連していると思われる。『栃木市史』(通史編中世)によれば、皆川荘は嘉禄(かろく)年中(1225~1227)に二品(にほん)親王家に譲渡され、天福3年(1233)には青蓮院門跡領になったとある。伏見天皇の事変は正応3年(1290))なので、こういった皇室がらみの流罪先には皇室系の遠方の荘園が選ばれることが多かったのではないかと思われる。ただし皆川荘の正確な範囲については不明である。こういったことへの深入りは、それはそれなりに面白く、事件の可能性の追求も必要と思われ、『荘園から読み解く中世という時代』武光誠著(夢新書)や『荘園』伊藤俊一著(中公新書)などの手軽な本に、つい手が延びてしまうのである。

(4)石裂山 加蘇山神社 のこと

さて、話は石裂山にもどる。

83頁の「栃木の街道」のうちの87頁に加蘇山神社の年間参詣者数の統計が出ている。これを見ると、多い時は年間1万4千人を超える人が参詣しているとあるが、当時の道はどのようであったのかと思う。先日通った時は昼間でも薄暗いような谷川沿いの山道であった。舗装はされていたが、まったくの一車線で、軽自動車もすれ違えないような道路となれば、再度の訪問の足は遠のくのではないかと思ったりもする。

先程の、『栃木の街道』で教えられた鹿沼市北赤塚の追分にあるという道標、「右 くがおさく、左 あわのおさく」を見に行きたいと思いたったところ、3月22日の雪が降って来たので驚いた。足下を「わらじ」に頼った時代の寒さはどんなだっただろうと、ふと、考えた。

春の淡雪はまだ降っている。

情報

2022年3月(令和4年)
B5版・94P
非売品・非配布品
自身の資料として作成

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皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
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栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。