このコラムは、小松義邦氏による、2025年11月3日のコラムです。▼
「八百比丘尼」と彫られた石塔
2024年9月に発行した「真名子の里『伝説 八百比丘尼』を追う」にて、『粟野町誌・民俗編』からの引用として、一文と写真を下記のように掲載した。一文は『……粕尾の森地区には「八百比丘尼」の石仏が祀られているし、…(地名)…には「八百比丘尼」の文字を刻んだ石塔が立てられ、女の人たちによって信仰されてきた』というもので、写真は、八百比丘尼と彫られた石塔の写真である。この写真は、粟野町教育委員会が、1983年(昭和58年)に粟野町誌六巻の中の一巻として発行した「粟野の野佛」掲載の写真である。

探して訪ね歩いた旅
そこには記さなかったが、私は2年前の2023年、この「真名子の里『伝説 八百比丘尼』を追う」をまとめるにあたり、この石塔を、自分の目で確認したいと思って、半日をかけてその地域を訪ね歩いたことがある。地元地域の方の何人かにお聞きしたが発見できず、年月が経って風化して崩れたか埋もれてしまったのだろうと、残念ながら諦めざるを得なかった。長男邦彦(このブログ作成者)とその話になり、「この写真の石塔が見つからないのは残念だね、僕も見たかった」と邦彦が言っていたのを覚えている。
小山市在住の中村氏からのご連絡
2025年10月に、小山市在住の中村宏氏からご連絡があった。中村氏は、以前「真名子の里『伝説 八百比丘尼』を追う」を読まれて、知人に配りたいと我が家まで何冊かをご購入に来られ、お話したことがあった。
ご連絡内容はというと、この石塔を探しに行き、発見しました、との驚きのお話だった。その際にとった拓本(和紙を当てて墨つけをしたもの ※石塔には墨はつけない方法)二枚をご提供くださるとのことで、お会いして、素晴らしい拓本をいただいた。一枚は真名子の八百比丘尼堂の堂守の荻原氏がお堂の中に、一枚は文化財保護委員の中村良一氏が「真名子夢ホール」(公民館)に飾ってくださることとなった。
発見時の詳細をお伺いしたところ、探し歩いて地元の人に尋ね、「こちらのことではないか」と案内してもらったそうで、探し当てた石塔は、下部の「丘尼」の文字のあたりは埋まっていた状態だったので掘り出して、上部は三分の一あたりで割れ落ちていたので岩石用の接着剤で応急修理をしてくださったとのこと。まことにありがたく、心よりお礼を申し上げ、その応急修理をおこなった旨を文化財保護委員の中村良一氏にもお伝えした。
小さな冒険の旅へ
さて、そうなると、直接この目で見たい、との思いになる。一度訪れて、見つからずに諦めた経緯があるから尚更である。中村宏氏からおおよその場所を伺い、晴れた某日、小さな冒険の旅にでかけた。
教わったように、川の源流沿いに連なる町筋から山間部へと20キロほどの道を車でさかのぼると、急に細々とした一本道になった。川沿いの路肩に気を配りながらもさらに5キロほど入っていく。だがなかなか見つからない。通り過ぎてしまったのだろうかと方向転換をして戻ったところ、発見した。
中村氏から、行きには見つからずに戻ってくるときに見つけられると思いますよ、と言われていたのを思い出した。道が湾曲している箇所にあり、川側に落ちないように意識が行ってしまうとちょうど目にはいらない箇所にあるのである。
身震いが出るほどの感動を覚えた。山側の高さ約1m程の傾斜地に六体の石像が並んでいた。向かって左から「十九夜」「二十六夜」「庚申塔」「八百比丘尼」、六本の腕を持つ「青面金剛像」、「南無」の文字のある石塔、となっている。それらが薄い青ゴケにくるまっている姿は圧巻であった。
山あいに石塔を作った意味
「真名子の里『伝説 八百比丘尼』を追う」に記載したとおり、真名子の隣の粟野町の『粟野町誌・民俗編』には、八百比丘尼信仰が盛んであったとの記述がある。当時、「健康と長寿を授け、はしかや疱癒にかかった子どもたちの命も救ってあげますよ」と手を差しのべる八百比丘尼さまは、女性、特に、母親にとって救いとなる信仰の対象であったことを、同書にて書かせていただいた。
山あいの民にとって徒歩という移動手段しかない当時、この地域から真名子の里の八百比丘尼堂までのおおよそ六里(26km)を超える山道は、頻繁に通えるものではない。子どもを育てる母であればなおさらである。
そこで、祈りの対象として、そして、ご利益を我が村にも是非との願いで、男どもに働きかけて、立派な姿の石に「八百比丘尼」と刻ませ、ゆかりの深い庚申様と並べて立てさせたのであろう。その石塔を目の前にして、当時のこの地域の人々の、ひたすらな信仰心、切実な思いに、あらためて感動した。
秋晴れの日に再訪
その話を長男邦彦にしたところ、ぜひ僕も見たい、となり、秋晴れの11月1日、長男邦彦の運転で、妻を含めた三人で、この石塔群を訪れた。澄みわたった山間の空気の中、二百年前に祈りを込めて彫られた石塔たちに、共に訪ねた妻や長男に限りなく幸多かれとの願いをこめて深い一礼を捧げたひとときであった。
結びに
割れて埋もれた石塔にふたたび息吹を与えてくださった中村宏氏に大いに感謝します。
そして、山深い渓谷にこれだけの足跡を残した八百比丘尼と、深い信仰の証を石に刻んで残した二百年前の粟野のこの地域の方々に、心からの敬意を表したい。
刊行情報
「真名子の里『伝説 八百比丘尼』を追う」
2024年9月(令和6年)
A5版・200P
著者/小松義邦
発行/小松義邦
……詳細はコチラをご覧ください。
※なお、当コラムでは、石塔の場所は明示しない形としました。不特定多数の方の目にふれる可能性があり、いたずらや破損・盗難などを避けるためです。ご了承ください。
小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/皆川広照・皆川氏、真名子の八百比丘尼伝説、西方町の歴史・西方氏ほか
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栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

























