『現代語訳 皆川一族』は、昭和に少部数作られた皆川一族の系図集を現代語訳したものです。付録の皆川文書「都賀笠」の現代語訳も貴重です。

皆川広照関連冊子 7冊目。

皆川広照関連冊子を作成している小松義邦氏が、2026年6月に発行した冊子は、『現代語訳 皆川一族』です。

発行の経緯

(本書「まえがき」より)
「都内八王子市にお住いの皆川昌幸様から……お便りをいただいた。そのようなご縁から、皆川昌幸家のご先祖の方の発案をもとにして出版されたといわれる貴重本の、皆川家に残されていたものを閲覧させていただくという思いがけない幸運に恵まれた。』という経緯から、本書の発刊となりました。

昭和49年(1974)・昭和61年(1986)に発行された「皆川一族」

今回の書籍のメインとなるのは、皆川一族の系譜について書かれた、2冊の冊子です。
皆川氏の大祖とされる「藤原鎌足」から各地に広がった皆川氏までを、多くの家系図を取り入れながら解説しているものです。
文体が古く現代の人には読めないものであるため、小松氏が現代語訳を行って、当書籍となりました。

昭和49年発行の「皆川一族」

本書では「第一編」としています。
当時岩手一関在住だった皆川丑之助氏(上記皆川昌幸様の祖父様)が発案し依頼して、銀座にあった「日本家系協会」(家系を調査して出版していた)が、調査・編集・出版をした、300部限定の冊子です。

「長沼氏から皆川氏への関連系図や、皆川広照を主としていて、その子孫、傍系の系図集ともいうべきもので、『皆川正中録』『下野国誌』『寛政重修諸家譜』などからの研究が主になっているようである(小松氏「まえがき」より)」というものです。

昭和61年発行の「皆川一族」

こちらは、上記「日本家系協会」が、調査・編集・出版をした、300部限定冊子です。
本書では「第二編」としています。

「前書のあとを追うかたちで、全国に散在する『皆川氏』の展開模様を克明にたどり、系図も多彩に取り上げているという貴重本である(小松氏「まえがき」より)」というものです。巻末資料には、皆川の58個にわたる家紋についての紹介もあります。

※上記は、皆川昌幸氏提供による原本コピー

小松義邦氏による付録の3つのエピソード

小松氏が、系図の話だけでは退屈な時間もまじるだろうからと、付録として3つのエピソードを掲載しています。
◎再起した広照の「府中藩」について
◎広照の子・隆庸の後継ぎ問題で、「長男と次男の入れ替えがあったため、本家断絶の悲運になりましたが、それはなぜ起きたのかという、だぁーれも知らなかったお話(小松氏本文より)」
◎安政6年(1859)に皆川十五代当主皆川森之助が神田神保町で没した際に、その柩が皆川家の菩提寺である金剛寺(栃木市皆川城内町)まで運ばれました。その葬送の道中の記録が、皆川文書『都賀笠』です。小松氏による初めての現代語訳です。

金剛寺住職の祝辞と、カラー写真10点を掲載

巻頭には、皆川氏の菩提寺である金剛寺住職の柿上大岳氏からの祝辞が掲載されています。
また、栃木市西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)撮影による金剛寺所蔵の掛け軸2点と墓所写真、皆川昌幸氏撮影の一関市藤沢町保呂羽地区の皆川一族墓所写真等、合計10点のカラー写真を掲載しています。

第一編

第一編[1] 大祖 藤原鎌足

皆川氏の祖とされる藤原鎌足についての紹介、および、そこからの系図を掲載しています。8ページ。

第一編[2] 皆川一族

長沼氏のうちのひとりが皆川の地に住んで城を築き、皆川氏(第一次皆川氏)となり、その後長沼氏の名乗りとなり、再び皆川氏が名乗られるようになり(第二次皆川氏、その四代目が皆川広照)……という流れが記載されていて、系図もしっかり掲載されています。21ページ。

第一編[3] 藤原秀郷流足利氏流皆川一族

上記【2】とは別の流れの皆川一族について紹介しています。2ページ。

第一編[4] 江戸幕府皆川一族

藤姓の皆川一族で徳川幕府に仕えた流れの四家について、『寛政重修諸家譜』より紹介しています。ひとりひとりについて、1行~数行の紹介文があります。16ページ。
○藤姓秀郷流皆川宗家/20名 ⑱皆川広照は38行、⑲隆庸は20行の紹介文。
○皆川別家(壱)/6名
○皆川別家(弐)/5名
○皆川別家(参)/9名

第二編

第二編[1]藤原秀郷流の皆川氏

皆川氏の多数の世系の中で、最も有名でしかも広く反映したのが、北関東の藤原秀郷流の皆川氏で、その最初の頃について記載しています。第一編の[1]で描かれた大祖の藤原鎌足からの系譜です。都賀郡皆川村に住んで、長沼から皆川へ姓を変えた宗員についての系図記載もあります。6ページ。

第二編[2]再興(長沼系)皆川氏

皆川広照が属する系譜です。上記1の連なりにあります。第一編の[2][3]でも描かれていますが、別の内容となっています。5ページ。

第二編[3]近世の皆川氏諸流

「下野の皆川城の城主であった皆川氏の子孫は、諸流に分かれ、それぞれの系を伝えている(本書記載)」とのことで、下記を記載しています。8ページ。
○山城守広照の系
○市正宗富(いちのかみむねとみ)の系
○又一郎広長(広照の弟)の後

第二編[4]奥州各地の皆川氏

鎌倉時代後期から奥州に転居した皆川氏があり、この章では下記が掲載されています。6ページ。
○会津若松地方の皆川氏
○仙台の伊達藩に仕えた皆川氏
○常陸の佐竹氏に仕えた皆川氏

第二編[5]諸国諸流の皆川氏

各地のさまざまな皆川氏について、複数の系図とともに、記載されています。9ページ。

第二編[6]苗字の移動と家紋の変遷

「皆川」に関わらず「苗字の移動」があったタイミングが歴史上大きく5回あったとして、解説が記載されています。また、皆川氏のように家紋がなぜ系図によって異なっているのかについての解説もあります。

第二編 資料

原本にあった「皆川一族主要家紋」「年号索引」「日本国県対照表」を転載しています。
皆川氏研究にとって興味深いのは「皆川一族主要家紋」で、家紋の図自体で10点、加えて、説明文(「左逆さ巴」「丸に三つ柏」等)として48が掲載されています。

小松氏による付録 

「系図集を読むというやや退屈な時間がまじる読書タイムが終わり、おくつろぎいただくために提供させていただくのは、皆川家関連の3つのエピソードです」として、小松氏による付録がついています。

小松氏による付録[1]再起した広照の「府中藩」について

1609年に改易(領地没収)された広照は、大坂の陣での親子の活躍が認められて赦免され、常陸国府中藩1万石を与えられて大名(初代藩主)に復帰しました。76歳の時です。この常陸国(現在の茨城県)の府中藩(明治二年に石岡藩と改称)についての、各書からの紹介を掲載しています。9ページ。

小松氏による付録[2]隆庸家の継嗣争い

小松氏が「皆川歴代記」からまとめ直した、広照の子・隆庸家の、後継ぎをめぐるエピソードを掲載。「長男と次男の入れ替えがあったた、本家断絶の悲運になりましたが、それはなぜ起きたのかという、だぁーれも知らなかったお話(小松氏本文より)」とのこと。4ページ。

小松氏による付録[3]現代語訳「都賀笠」(皆川文書)

「皆川十五代当主皆川森之助が神田神保町で没した際に、その柩が皆川家の菩提寺である金剛寺(栃木市皆川城内町)まで運ばれました。その葬送の道中の記録が、皆川文書『都賀笠』。……略…… 随所に俳句を配した趣(おもむき)のある爽やかな感じの道中記です(小松氏本文より)」とのことです。小松氏による現代語訳で読むことができます。昭和53年(1978)に雑誌に公開された際の皆川又太郎氏の前書きが3ページ。都賀笠が9ページ。

刊行情報

2026年6月(令和8年)
A5版
現代語訳・編集/小松義邦
発行/小松義邦

800円+送料210円でご購入いただけます。併せて下記もご購入可能です。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

コメントを残す

*