興味深い内容の、皆川広照関連冊子。6冊目。
皆川広照をめぐる価値ある冊子を作成している小松義邦氏が、また興味深い内容の冊子を2026年2月に刊行しました。タイトルは『皆川広照の小田原合戦』です。

描かれているのは小田原合戦のもとでの皆川広照です
「小田原合戦(小田原征伐、小田原の役)」は、天下統一に向かう豊臣秀吉が、天正18年(1590年)に、関東を支配していた北条氏政・氏直親子を小田原にて倒した戦いです。この勝利によって秀吉の天下統一が達成されました。
この合戦の特徴的だったことは、北条氏側が、自陣である小田原城の城下町を丸ごと土塁と空堀で囲む、全長九キロにわたる「総構(そうがまえ)」を作ったことです。
皆川広照は約150人の家臣と共に、北条方として参戦せざるを得ず、この「総構(そうがまえ)」の中にいました。広照42歳。居城を皆川城から街中の栃木城に移して栃木のまちを作るよりも前の話です。
広照の、あまり知られていないふたつの姿
この冊子で描かれているのは、あまり知られていない、皆川広照のふたつの姿です。
ひとつは、小田原の広大な籠城エリアから100名以上の家臣とともに脱出をした広照。脱出については有名な話で、数行の記載であれば多数の書物にあるのですが、そこに焦点を当てて考察をしているものはあまり見ません。小松氏は、多数の書物からその個所を引用した上で、歴史的な背景や状況から、大胆な仮説を用意して、おそらくそうであったのではないかと思える脱出の様子を描いています。
もうひとつは、その籠城エリアで茶の湯をたしなみ、千利休の愛弟子から秘伝の書を授与されていた茶人としての広照です。広照の茶人としての側面について、あまり語られることはありませんでした。今回、小松氏は、茶の湯の流行や、信長・秀吉と千利休の関係などについてもわかりやすく説明してくれた上で、小田原の籠城の地ではぐくまれた山上宗二と広照の関係について描いています。
本冊子の概要
(本書「まえがき」より)
「皆川広照は、利休の一の弟子といわれた山上宗二(やまのうえそうじ)から茶道の秘伝書を授けられた関東一の数寄大名(数寄者=風流の道を解する人)だ。また、この広照が小田原籠城の関東武士の中で最初の降伏者であったのも興味深い。」
と、著名な桑田忠親氏がその著書『利休の書簡』で称賛された数寄大名皆川広照の姿を、その茶道の師である山上宗二とあわせて、ぜひとも探ってみたいと思って今回のテーマに取り組んで、あっというまに半年がたちました。
……(中略)……今回の小田原合戦は、広照の知られざる「茶人=数寄者」としての顔が、多くの家臣を救う道につながったのではないかということを探ってみました。私の手探りでの叙述部分へのご批判を承知の上で、えっ!と思っていただける「皆川広照家臣団の小田原城脱出劇」を展開させて頂きました。
……(後略)……
カラー写真9点を掲載
栃木市西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)撮影による、金剛寺所蔵の広照の茶道具一式および「山上宗二記」の写真(計6点)と、丸山真由美氏による小田原城の写真、早川の写真等、合計9点のカラー写真を掲載しています。

章別紹介
[1] 「小田原籠城戦 討死者名簿」の発見
自身が取りまとめた複数の皆川家家臣の討死者名簿に、小田原籠城戦の討死者としての記載がないことを不思議に思っていた小松氏が、……(以下、本書P6より抜粋)【 最近に至り、『皆川家臣帳』をまとめる端緒となった『皆川広照伝』及び『下野戦国史』の付録の「家臣帳」を精読する機会があった。同内容を記載した大森隆司氏の小田原の部の記述に「小田原籠城戦」と書かれている部分に討死者の名を見つけた時に息を呑む思いがした。】……となり、「小田原合戦」を「改めて考えてみたいと思った」となった流れが述べられています。

[2] 北条五代の進出と下野
のちに「後北条」と呼ばれるこの「北条氏」について、初代「北条早雲」から氏直までの五代で、どのように北条氏が領土を拡大し、関東を支配するようになったかをまとめています。
そして、下野について、北条氏と宇都宮氏・佐竹氏の対立の狭間に立たされていた皆川広照が、皆川氏と北条氏の最大の激戦「草倉の戦い」を契機に徳川家康を仲立ちとしてどう和解したかが解説されています。また、皆川氏と隣接する壬生氏の動向についても記されています。
[3] 小田原合戦への道
天下統一に向かう秀吉は、まずは家康を家臣とし、その後、関東を支配する北条氏に上洛(京の都に来て秀吉への平伏を行うこと)を迫り続けました。その後北条氏は平伏しますが、北条側の一家臣・猪俣邦憲による名胡桃城強奪をきっかけに秀吉は北条討伐を宣言し、受けて立つしかなくなった北条側は、小田原府内を囲む約9kmの外郭を作り対抗します。
その大きな流れと詳しい状況について、わかりやすく記載しています。
[4] 皆川広照・壬生義雄両勢の小田原籠城戦
皆川広照と壬生義雄がその籠城戦に加わることになった経緯が描かれています。また、実際にどのような場所で守りについたのか、「陣取図」「陣図」も引用掲載し、わかりやすく説明しています。
[5] 薄氷上の小田原城郭!
この籠城という戦法が時代に合わなくなっていたことの解説や、小田原の外郭内の様子の描写があります。皆川広照脱出の直前の小田原城郭の姿がわかります。
[6] 起死回生! 小田原城より広照脱出
皆川広照が家臣百余人を連れて小田原から脱出した、という史実について、小松氏ならではの調査力でさまざまな文献から引用掲載を行い、解説がつけられています。昭和34年(1959年)刊行の『利休の書簡(桑田忠親著)』をはじめ、昔に書かれた戦記3点、栃木市・小田原市の行政刊行物4点、昭和・平成の歴史解説書4点、昭和・平成の研究書4点と、多数の文献でどのような記載になっているかを知ることができます。
そのうえで、そこには描かれていない4つの謎(脱出の隊列の様子、山上宗二の同行はあったのか、討死の状況について、迎撃がなかったであろうこと)についての、小松氏の考察が記されていて、とても興味深いものになっています。
[7] 広照脱出の事前通告を山上宗二が行ったという仮説
皆川広照の脱出の「成功」に、小田原城郭内での茶の湯の師であった山上宗二が関わっていたと思われるという、小松氏の仮説が展開されます。
[8] 広照が授かった茶道の秘伝書『山上宗二記』
菩提寺である金剛寺に皆川広照の茶道具複数点と『山上宗二記』の写本が所蔵されているのですが、広照が茶人であったこと、特に、千利休の愛弟子である山上宗二から秘伝の書を授かっていたことについてはあまり知られてはいません。
この章では、この時代に茶道がどのようなものであったか、華美に向かおうとする秀吉の茶道に「侘び」に重きを置く山上宗二がどのように反発していたかを記し、彼が広照を最後とする6人の弟子に遺した「山上宗二記」について、研究書6点からの引用掲載で解説しています。
広照との関連や、広照に遺された「山上宗二記」についてなどにも触れられています。
そして、山上宗二の謎多き死について、小松氏の仮説を記しています。
[9] 小田原合戦の終結
小田原合戦がどのように終結していったかについて記載したあと、小田原合戦に見られる広照の姿、どれだけ「ついていた」ことで脱出が成功したのか、小田原合戦をくぐり抜けたことが広照に何をもたらしたのかを、温かな視線で記しています。
[付録] 現代語訳『異本 小田原記(五)』
付録として、『異本 小田原記』の「巻の五」を、小松氏が現代語に訳したものを、39ページにわたって収録しています。これは、「小田原合戦が終わって間もない頃に北条方の生き残りの武士が綴ったとされる戦記(本冊子P54)」です。
「小田原合戦の模様を気楽に楽しんでいただくことと、戦記物にも親しんでいただくことを願って(本書P139)」との思いで訳出したとのこと。
読みやすい現代語訳になっています。江戸時代よりも前の、この合戦当時に誰かが書いた物語である、ということが、なんだか不思議です。
貴重な一冊
小田原合戦における皆川広照という、詳しくまとめられてくることのなかったテーマを、多くの文献からの引用掲載と解説、時代の流れの説明、大胆な仮説の展開で、わかりやすく、そして興味深くまとめあげていて、皆川広照研究の新たな一冊として、貴重なものとなっていると思います。
さまざまな文献に掲載されている内容が一目瞭然となっているのは、小松氏の読書量の多さと記憶力と調査力の賜物(たまもの)で、感嘆します。また、脱出の際の宗二の関わりや討死者の討死理由についての仮説や、宗二の死の理由についての仮説など、他の研究者がこれまで唱えて来た推測とは異なる説の記載があり、「史料に基づくものではない」ながら説得力のある仮説となっていて、とても「おもしろく」読むことができます。
刊行情報
2026年2月(令和8年)
A5版
著者/小松義邦
発行/小松義邦
1000円+送料210円でご購入いただけます。併せて下記もご購入可能です。
◆皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
◆皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
◆口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
◆現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円
◆復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売
※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
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栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。



































































