皆川氏

『現代語訳 皆川一族』は、昭和に少部数作られた皆川一族の系図集を現代語訳したものです。付録の皆川文書「都賀笠」の現代語訳も貴重です。

皆川広照関連冊子 7冊目。

皆川広照の関連冊子を作成している小松義邦氏が、7冊目として2026年6月に発行した冊子は、『現代語訳 皆川一族』です。

発行の経緯

(本書「まえがき」より)
「都内八王子市にお住まいの皆川昌幸様から……お便りをいただいた。そのようなご縁から、皆川昌幸家のご先祖の方の発案をもとにして出版されたといわれる貴重本の、皆川家に残されていたものを閲覧させていただくという思いがけない幸運に恵まれた。』という経緯から、本書の発刊となりました。

昭和49年(1974)・昭和61年(1986)に発行された「皆川一族」

今回の書籍のメインとなるのは、皆川一族の系譜について書かれた、2冊の冊子です。
皆川氏の大祖とされる「藤原鎌足」から各地に広がった皆川氏までを、多くの家系図を取り入れながら解説しているものです。

文体が古く現代の人には読めないものであるため、小松氏が初の現代語訳を行って、当書籍となりました。

昭和49年発行の「皆川一族」

本書では「第一編」としています。
当時岩手県一関在住だった皆川丑之助氏(上記皆川昌幸様の祖父様)が発案し、「日本家系協会」(銀座にあった・家系を調査して出版していた)が、調査・編集・出版をした、300部限定の冊子です。

「長沼氏から皆川氏への関連系図や、皆川広照を主としていて、その子孫、傍系の系図集ともいうべきもので、『皆川正中録』『下野国誌』『寛政重修諸家譜』などからの研究が主になっているようである(小松氏「まえがき」より)」というものです。

昭和61年発行の「皆川一族」

こちらは、12年後に、同じく「日本家系協会(日本家系家紋研究所)」が調査・編集・出版をした、300部限定冊子です。本書では「第二編」としています。

「前書のあとを追うかたちで、全国に散在する『皆川氏』の展開模様を克明にたどり、系図も多彩に取り上げているという貴重本である(小松氏「まえがき」より)」というものです。巻末資料には、皆川家の58個にわたる家紋についての紹介もあります。

※上記は、皆川昌幸氏提供による原本コピー

小松義邦氏による付録の3つのエピソード

小松氏が、系図の話だけでは退屈な時間もまじるだろうからと、付録として3つのエピソードを掲載しています。
一つ目は、再起した広照が大名となった、常陸国(現在の茨城県)の「府中藩」について。
二つ目は、小松氏が「皆川広照伝」からまとめ直した、広照の子・隆庸の後継ぎをめぐる、本家断絶の悲運になった、長男・次男入れ替えの話。

そして、三つ目は皆川文書「都賀笠」の、小松氏による初めての現代語訳です。
安政6年(1859)に皆川十五代当主皆川森之助が神田神保町で没した際に、その柩が皆川家の菩提寺である金剛寺(栃木市皆川城内町)まで運ばれました。「都賀笠」は、その葬送の道中の記録です。

金剛寺住職の祝辞と、カラー写真10点を掲載

巻頭には、皆川氏の菩提寺である金剛寺住職の柿上大岳氏からの祝辞が掲載されています。

また、栃木市西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)撮影による金剛寺所蔵の掛け軸2点と墓所写真、皆川昌幸氏撮影の岩手県一関市藤沢町保呂羽地区の皆川一族墓所写真等、合計10点のカラー写真を掲載しています。

第一編

第一編[1] 大祖 藤原鎌足

皆川氏の祖とされる藤原鎌足についての紹介、および、そこからの系図を掲載しています。
 〈計8ページ〉

第一編[2] 皆川一族

長沼氏のうちのひとりが皆川の地に住んで城を築き、皆川氏(第一次皆川氏)となり、その後長沼氏の名乗りとなり、再び皆川氏が名乗られるようになり(第二次皆川氏、その五代目が皆川広照)……という流れが記載されていて、系図もしっかり掲載されています。 〈計21ページ〉

第一編[3] 藤原秀郷流足利氏流皆川一族

上記【2】とは別の流れの皆川一族について紹介しています。 〈計2ページ〉

第一編[4] 江戸幕臣 皆川一族

藤姓の皆川一族で徳川幕府に仕えた流れの4家について、『寛政重修諸家譜』より紹介しています。ひとりひとりについて、1行~数行の紹介文があります。
◆藤姓秀郷流皆川宗家/20名  皆川広照は38行、隆庸は20行の紹介文
◆皆川別家(壱)/6名
◆皆川別家(弐)/5名
◆皆川別家(参)/9名
〈計16ページ〉

第二編

第二編[1]藤原秀郷流の皆川氏

皆川氏の多数の世系の中で、最も有名でしかも広く繁栄したのが、北関東の藤原秀郷流の皆川氏で、その最初の頃について記載しています。第一編の[1]で描かれた大祖の藤原鎌足からの系譜です。都賀郡皆川村に住んで、長沼から皆川へ姓を変えた宗員についての系図記載もあります。 〈計6ページ〉

第二編[2]再興(長沼系)皆川氏

皆川広照が属する系譜です。上記[1]の連なりにあります。第一編の[2][3]でも描かれていますが、別の内容となっています。 〈計5ページ〉

第二編[3]近世の皆川氏諸流

「下野の皆川城の城主であった皆川氏の子孫は、諸流に分かれ、それぞれの系を伝えている(本書記載)」とのことで、下記を記載しています。
◆山城守広照の系
◆市正宗富(いちのかみむねとみ)の系
◆又一郎広長(広照の弟)の後
〈計8ページ〉

第二編[4]奥州各地の皆川氏

鎌倉時代後期から奥州に転居した皆川氏があり、この章では下記が掲載されています。
◆会津若松地方の皆川氏
◆仙台の伊達藩に仕えた皆川氏
◆常陸の佐竹氏に仕えた皆川氏
〈計6ページ〉

第二編[5]諸国諸流の皆川氏

各地のさまざまな皆川氏について、複数の系図とともに、記載されています。 〈計9ページ〉

第二編[6]苗字の移動と家紋の変遷

「皆川」に限らず、「各地の氏族が祖宗の地を離れて各地に居住(本書88頁)」して「苗字の移動」となったタイミングが、歴史上大きく5回あったとして、解説が記載されています。また、皆川氏のように同じ○○家でありながらなぜ家紋が異なっているのかについての解説もあります。

第二編 資料

原本にあった「皆川一族主要家紋」「年号索引」「日本国県対照表」を転載しています。
皆川氏研究にとって興味深いのは「皆川一族主要家紋」で、家紋の図自体で10点、加えて、説明文(「左逆さ巴」「丸に三つ柏」等)として48が掲載されています。

小松氏による付録 

「系図集を読むというやや退屈な時間がまじる読書タイムが終わり、おくつろぎいただくために提供させていただくのは、皆川家関連の3つのエピソードです」として、小松氏による付録がついています。

小松氏による付録[1]再起した広照の「府中藩」について

1609年に改易(領地没収)された広照は、大坂の陣での親子の活躍が認められて赦免され、常陸国府中藩1万石を与えられて大名に復帰しました。76歳の時です。
この常陸国(現在の茨城県)の府中藩(明治二年に石岡藩と改称)についての、各書からの紹介を掲載しています。 〈計9ページ〉

小松氏による付録[2]隆庸家の継嗣争い

小松氏が「皆川歴代記」からまとめ直した、広照の子・隆庸家の、後継ぎをめぐるエピソードを掲載。「長男と次男の入れ替えがあったため、本家断絶の悲運になりましたが、それはなぜ起きたのかという、だぁーれも知らなかったお話(小松氏本文より)」とのこと。 〈計4ページ〉

小松氏による付録[3]現代語訳「都賀笠」(皆川文書)

「皆川十五代当主皆川森之助が神田神保町で没した際に、その柩が皆川家の菩提寺である金剛寺(栃木市皆川城内町)まで運ばれました。その葬送の道中の記録が、皆川文書『都賀笠』。……随所に俳句を配した趣(おもむき)のある爽やかな感じの道中記です(小松氏本文より)」とのことです。

小松氏による、初の現代語訳で読むことができます。
◆昭和53年(1978)に雑誌掲載時の皆川又太郎氏の前書きが3ページ。
◆都賀笠が9ページ。
〈計12ページ〉

奇跡の一冊

「皆川一族」発案者の孫の皆川昌幸氏から、小松氏作成の皆川関連書籍の購入申し込みがあり、やりとりの中で冊子の存在が小松氏に伝えられ、この現代語訳としての作成となりました。

原本としての「皆川一族」は、昭和の出版物とはいえ、古い文体で、手書き文字で書かれています。出版部数も各300部で、皆川広照公を研究している小松氏も存在を知らなかったそうです。
「皆川」の一族を多数の家系図とともに体系的にまとめている貴重な内容でありながら、皆川昌幸氏と小松義邦氏の出会いがなければ、現代語訳としてよみがえることはなく、埋もれたままだったのだろうと思います。

また、付録としての皆川文書「都賀笠」は、「研究に役立つ」という内容ではありませんが、東京の神田神保町から栃木の皆川まで棺を運ぶという、今では考えられない行動を追うことができ、その道中での思いや雰囲気をリアルに感じることができる、味わいぶかい道中記です。
こちらは昭和53年に雑誌に掲載されたのみで、かつ古い文体なので、小松義邦氏がこの「現代語訳 皆川一族」の作成を決め、温かいエピソードの掲載を思い立って、現代語訳での掲載を行わなければ、知られることもなかったことでしょう。

この「現代語訳 皆川一族(付録・都賀笠)」は、ある意味、「奇跡の一冊」なのだと思います。

刊行情報

2026年6月(令和8年)
A5版
現代語訳・編集/小松義邦
発行/小松義邦

800円+送料210円でご購入いただけます。併せて下記もご購入可能です。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

『皆川広照の小田原合戦』には、百人越えの家臣とともに脱出した決死の姿と、茶人としての皆川広照が描かれています。

興味深い内容の、皆川広照関連冊子。6冊目。

皆川広照をめぐる価値ある冊子を作成している小松義邦氏が、また興味深い内容の冊子を2026年2月に刊行しました。タイトルは『皆川広照の小田原合戦』です。

描かれているのは小田原合戦のもとでの皆川広照です

「小田原合戦(小田原征伐、小田原の役)」は、天下統一に向かう豊臣秀吉が、天正18年(1590年)に、関東を支配していた北条氏政・氏直親子を小田原にて倒した戦いです。この勝利によって秀吉の天下統一が達成されました。

この合戦の特徴的だったことは、北条氏側が、自陣である小田原城の城下町を丸ごと土塁と空堀で囲む、全長九キロにわたる「総構(そうがまえ)」を作ったことです。

皆川広照は約150人の家臣と共に、北条方として参戦せざるを得ず、この「総構(そうがまえ)」の中にいました。広照42歳。居城を皆川城から街中の栃木城に移して栃木のまちを作るよりも前の話です。

広照の、あまり知られていないふたつの姿

この冊子で描かれているのは、あまり知られていない、皆川広照のふたつの姿です。

ひとつは、小田原の広大な籠城エリアから100名以上の家臣とともに脱出をした広照。脱出については有名な話で、数行の記載であれば多数の書物にあるのですが、そこに焦点を当てて考察をしているものはあまり見ません。小松氏は、多数の書物からその個所を引用した上で、歴史的な背景や状況から、大胆な仮説を用意して、おそらくそうであったのではないかと思える脱出の様子を描いています。

もうひとつは、その籠城エリアで茶の湯をたしなみ、千利休の愛弟子から秘伝の書を授与されていた茶人としての広照です。広照の茶人としての側面について、あまり語られることはありませんでした。今回、小松氏は、茶の湯の流行や、信長・秀吉と千利休の関係などについてもわかりやすく説明してくれた上で、小田原の籠城の地ではぐくまれた山上宗二と広照の関係について描いています。

本冊子の概要

(本書「まえがき」より)
「皆川広照は、利休の一の弟子といわれた山上宗二(やまのうえそうじ)から茶道の秘伝書を授けられた関東一の数寄大名(数寄者=風流の道を解する人)だ。また、この広照が小田原籠城の関東武士の中で最初の降伏者であったのも興味深い。」
と、著名な桑田忠親氏がその著書『利休の書簡』で称賛された数寄大名皆川広照の姿を、その茶道の師である山上宗二とあわせて、ぜひとも探ってみたいと思って今回のテーマに取り組んで、あっというまに半年がたちました。
……(中略)……今回の小田原合戦は、広照の知られざる「茶人=数寄者」としての顔が、多くの家臣を救う道につながったのではないかということを探ってみました。私の手探りでの叙述部分へのご批判を承知の上で、えっ!と思っていただける「皆川広照家臣団の小田原城脱出劇」を展開させて頂きました。
……(後略)……

カラー写真9点を掲載

栃木市西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)撮影による、金剛寺所蔵の広照の茶道具一式および「山上宗二記」の写真(計6点)と、丸山真由美氏による小田原城の写真、早川の写真等、合計9点のカラー写真を掲載しています。

章別紹介

[1] 「小田原籠城戦 討死者名簿」の発見

自身が取りまとめた複数の皆川家家臣の討死者名簿に、小田原籠城戦の討死者としての記載がないことを不思議に思っていた小松氏が、……(以下、本書P6より抜粋)【 最近に至り、『皆川家臣帳』をまとめる端緒となった『皆川広照伝』及び『下野戦国史』の付録の「家臣帳」を精読する機会があった。同内容を記載した大森隆司氏の小田原の部の記述に「小田原籠城戦」と書かれている部分に討死者の名を見つけた時に息を呑む思いがした。】……となり、「小田原合戦」を「改めて考えてみたいと思った」となった流れが述べられています。

[2] 北条五代の進出と下野

のちに「後北条」と呼ばれるこの「北条氏」について、初代「北条早雲」から氏直までの五代で、どのように北条氏が領土を拡大し、関東を支配するようになったかをまとめています。

そして、下野について、北条氏と宇都宮氏・佐竹氏の対立の狭間に立たされていた皆川広照が、皆川氏と北条氏の最大の激戦「草倉の戦い」を契機に徳川家康を仲立ちとしてどう和解したかが解説されています。また、皆川氏と隣接する壬生氏の動向についても記されています。

[3] 小田原合戦への道

天下統一に向かう秀吉は、まずは家康を家臣とし、その後、関東を支配する北条氏に上洛(京の都に来て秀吉への平伏を行うこと)を迫り続けました。その後北条氏は平伏しますが、北条側の一家臣・猪俣邦憲による名胡桃城強奪をきっかけに秀吉は北条討伐を宣言し、受けて立つしかなくなった北条側は、小田原府内を囲む約9kmの外郭を作り対抗します。
その大きな流れと詳しい状況について、わかりやすく記載しています。

[4] 皆川広照・壬生義雄両勢の小田原籠城戦

皆川広照と壬生義雄がその籠城戦に加わることになった経緯が描かれています。また、実際にどのような場所で守りについたのか、「陣取図」「陣図」も引用掲載し、わかりやすく説明しています。

[5] 薄氷上の小田原城郭!

この籠城という戦法が時代に合わなくなっていたことの解説や、小田原の外郭内の様子の描写があります。皆川広照脱出の直前の小田原城郭の姿がわかります。

[6] 起死回生! 小田原城より広照脱出

皆川広照が家臣百余人を連れて小田原から脱出した、という史実について、小松氏ならではの調査力でさまざまな文献から引用掲載を行い、解説がつけられています。昭和34年(1959年)刊行の『利休の書簡(桑田忠親著)』をはじめ、昔に書かれた戦記3点、栃木市・小田原市の行政刊行物4点、昭和・平成の歴史解説書4点、昭和・平成の研究書4点と、多数の文献でどのような記載になっているかを知ることができます。

そのうえで、そこには描かれていない4つの謎(脱出の隊列の様子、山上宗二の同行はあったのか、討死の状況について、迎撃がなかったであろうこと)についての、小松氏の考察が記されていて、とても興味深いものになっています。

[7] 広照脱出の事前通告を山上宗二が行ったという仮説

皆川広照の脱出の「成功」に、小田原城郭内での茶の湯の師であった山上宗二が関わっていたと思われるという、小松氏の仮説が展開されます。

[8] 広照が授かった茶道の秘伝書『山上宗二記』

菩提寺である金剛寺に皆川広照の茶道具複数点と『山上宗二記』の写本が所蔵されているのですが、広照が茶人であったこと、特に、千利休の愛弟子である山上宗二から秘伝の書を授かっていたことについてはあまり知られてはいません。

この章では、この時代に茶道がどのようなものであったか、華美に向かおうとする秀吉の茶道に「侘び」に重きを置く山上宗二がどのように反発していたかを記し、彼が広照を最後とする6人の弟子に遺した「山上宗二記」について、研究書6点からの引用掲載で解説しています。
広照との関連や、広照に遺された「山上宗二記」についてなどにも触れられています。
そして、山上宗二の謎多き死について、小松氏の仮説を記しています。

[9] 小田原合戦の終結

小田原合戦がどのように終結していったかについて記載したあと、小田原合戦に見られる広照の姿、どれだけ「ついていた」ことで脱出が成功したのか、小田原合戦をくぐり抜けたことが広照に何をもたらしたのかを、温かな視線で記しています。

[付録] 現代語訳『異本 小田原記(五)』

付録として、『異本 小田原記』の「巻の五」を、小松氏が現代語に訳したものを、39ページにわたって収録しています。これは、「小田原合戦が終わって間もない頃に北条方の生き残りの武士が綴ったとされる戦記(本冊子P54)」です。
「小田原合戦の模様を気楽に楽しんでいただくことと、戦記物にも親しんでいただくことを願って(本書P139)」との思いで訳出したとのこと。
読みやすい現代語訳になっています。江戸時代よりも前の、この合戦当時に誰かが書いた物語である、ということが、なんだか不思議です。

貴重な一冊

小田原合戦における皆川広照という、詳しくまとめられてくることのなかったテーマを、多くの文献からの引用掲載と解説、時代の流れの説明、大胆な仮説の展開で、わかりやすく、そして興味深くまとめあげていて、皆川広照研究の新たな一冊として、貴重なものとなっていると思います。

さまざまな文献に掲載されている内容が一目瞭然となっているのは、小松氏の読書量の多さと記憶力と調査力の賜物(たまもの)で、感嘆します。また、脱出の際の宗二の関わりや討死者の討死理由についての仮説や、宗二の死の理由についての仮説など、他の研究者がこれまで唱えて来た推測とは異なる説の記載があり、「史料に基づくものではない」ながら説得力のある仮説となっていて、とても「おもしろく」読むことができます。

下野新聞 掲載記事

刊行情報

2026年2月(令和8年)
A5版
著者/小松義邦
発行/小松義邦

1000円+送料210円でご購入いただけます。併せて下記もご購入可能です。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

『皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む』は、皆川広照の失脚から、再起を賭けた大阪の陣とそのあとまでが描かれています。

その前に……「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「現代語訳 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

皆川広照関連5冊目として2025年6月刊行

栃木市が誇る戦国武将といえば、皆川城の最後の城主「皆川広照」です。
関連冊子を4冊発行してきた小松義邦氏が、5冊目として2025年6月に発行したものが、『皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む』です。

読みどころ1 「幸嶋若狭大坂物語」の初の活字化・初の口語訳(=現代語訳)

読みどころのひとつは、『幸嶋若狭大坂物語』です。これは、皆川広照・隆庸父子が皆川家の再興を賭けて参加した「大阪の陣」の様子を、共に参加した、広照の重臣の幸島若狭(こうじまわかさ)が、戦地にて日々書き付けた戦いの記録です。

江戸時代以降、さまざまな史料や研究書で引用元とされてきながら、活字化されてこなかったその書の、初の口語訳(=現代語訳)です。

読みどころ2 前説と解題 皆川広照の失脚以降を鮮明に描写

それだけでも価値あるものですが、さらに小松義邦氏は、この書の解説として、「前説」「解題」を記述していて、そちらも大きな読みどころとなっています。

大阪の陣の理解を深めるための歴史的な流れについての解説とともに、広照・隆庸の失脚と失脚以降の様子、そして、大阪の陣での様子とその後が詳細に描かれているのです。

「まえがき」で小松義邦氏が書いているように、皆川広照の、皆川城主だった全盛期のころの姿はよく知られるところですが、家康の勘気を受けて失脚して以降について詳しく書かれた書はありません。

唯一、皆川家の子孫の皆川又太郎氏が非売品として昭和五十二年に作成した『皆川歴代記』があり、小松義邦氏が口語訳(=現代語訳)で発行しているのですが、「代々伝わる古文書を読み下し文として残したものであるため、口語訳で読みやすくはしたけれど、誰にでもわかりやすい内容・記述というわけではない」という状況です。

そうしたなかで、本書は、広照の失脚から再興、その後までを、わかりやすくまとめています。小松氏が「皆川家に関心をもたれる方への大きな贈り物として受けとっていただけるのではないかと思う」と書いた、まさにそういう書となっています。

「藩鑑(はんかがみ)」の皆川の部の口語訳(=現代語訳)も

なお、「藩鑑(はんかがみ)」という書の皆川の部も、小松義邦氏による口語訳(=現代語訳)が掲載されています。

カラー写真8枚を掲載

栃木市西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)撮影によるカラー写真が、金剛寺所蔵の広照の鎧、幸島若狭の眠る幸島家の菩提寺「傑岑寺(けっしんじ)」の風景、等、8点掲載されています。

改訂版について

初回本を出して間もなく、より分かりやすく構成を組み替え、新しい情報も追記した「改訂版」が発行されました(初回本にあった「藩鑑」の原本・読み下し文はなくなっています)。当記事は、その改訂版に基づく内容になっています。

貴重な一冊

巻末記載の参考図書の多さからもわかるとおり、さまざまな書にかかれた内容を、小松氏が調査力と記憶力で縦横無尽に発見して引き出して、事柄と事柄を歴史的な観点から論理的につなげる力で、鮮やかに、当時の広照・隆庸父子の姿を描いていて、貴重な一冊となっています。

各章の概要

■前説

こちらの計10ページでは、皆川広照が徳川家康の勘気に触れて失脚したいきさつと、その後、名を「老圃斎」と改め、大坂の陣までの5年間、隆庸とともに「蟄居謹慎」した姿を記載しています。そして末尾で、『幸嶋若狭大坂物語』の概要を掲載しています。
 ◆大坂の陣410年記念の年
 ◆皆川広照の失脚(計5ページ)
 ◆皆川老圃斎と智積院(計2ページ)
 ◆『幸嶋若狭大坂物語』 (計2ページ)

■口語訳 幸嶋若狭大坂物語

本書の読みどころの一つ、「幸嶋若狭大坂物語」の初の口語訳(現代語訳)です。
原書の趣を残しての現代語訳となっています。
 ◆大坂冬の陣(計10ページ)
 ◆夏の陣の覚え(計11ページ)
 ◆大和口の様子聞書(計8ページ)

■口語訳 藩鑑 「皆川広照・隆庸の部」

『藩鑑』は、小松氏のまえがきによれば、「嘉永元年・1848に林復斎が幕府の命を受けてまとめたもので」「徳川氏の創業当初から第八代将軍吉宗の時代までの、約500大名の言行を採録したもの」です。
その「皆川」の部と「隆庸」の部の、小松氏による、初の口語訳(現代語訳)です。
 ◆小松氏の解説 計1ページ
 ◆皆川 計16ページ
 ◆隆庸 計2ページ

大坂夏の陣で広照が忠輝の陣中に参上して進言する姿の描写が、二か所で書かれていて、小松氏は片方が真実で、片方は真実ではないだろうとまえがきで述べています。その真実と思われる方の記述のところに、引用元として「幸嶋若狭大坂物語」の表記があり、「幸嶋若狭大坂物語」の口語訳(現代語訳)と同様の記載であることがわかります。

■解題 前半

大坂の陣に至る時代の流れと、冬の陣・夏の陣の全体像が、小松氏によりまとめられていて、計24ページあって詳しくわかります。
 ◆序
 ◆三人の英傑~信長・秀吉・家康~
 ◆関ヶ原の役から大坂の陣へ
 ◆大坂冬の陣、はじまる
 ◆冬の陣の講和(和睦)
 ◆夏の陣、はじまる
 ◆夏の陣のおわり

■解題 中ごろ

中ごろの3章で、小松氏が、大坂の陣での広照・隆庸の様子を、計13ページで記載。
「皆川歴代記」「皆川家臣帳」「幸嶋若狭大坂物語」などを引用しての記述となっています。
 ◆広照・隆庸の動き~冬の陣から夏の陣へ~
 ◆父子それぞれの陣借り先について
 ◆若江口での戦いと隆庸の奮戦

■解題 後半

そして「解題」の後半の4章で、大坂の陣以降の広照・隆庸が描かれます。

◆まだ来ない春(計6ページ)
大坂の陣が終わって何年経っても「赦免」の話が来ない様子と、その理由についての小松氏の考察が記載されています。「日本の戦記・大坂の役」「廃絶録」「恩永録」などからの引用を行いながらの記述となっています。

◆皆川家の再興(計3ページ)
皆川家再興となったいきさつなどが描かれています。

◆徳川秀忠・家光に信頼された広照父子 ~広照、御伽衆に抜擢される~(計8ページ)
あまり語られて来なかった「御伽衆(おとぎしゅう)」としての江戸城での広照の様子を、前述の書以外に「東国闘戦見聞私記」などからも引用しながら、温かく描いています。

◆その後の皆川家(計3ページ)
「皆川歴代記」「徳川十五代史」などの記述から、皆川家のその後が紹介されています。

■まとめ 幸嶋若狭の紡いだ物語(計2ページ)

大坂の陣から戻った幸嶋若狭とその後の幸嶋家について、そして、「幸嶋若狭大坂物語」について、記載しています。また、その後ろに「幸嶋家」について、その菩提寺である「傑岑寺」についての掲載もあります。

下野新聞 掲載記事

刊行情報

※「幸嶋若狭大坂物語」は、書名としては「幸島若狭大坂物語」と表記する場合もあるそうですが、この冊子では、書名は「嶋」の字を、人名は「島」の字を採用しています。

2025年6月(令和7年)
A5版
著者/小松義邦
発行/小松義邦

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
――――――
在庫があるので、800円+送料210円でご購入いただけます。併せて下記もご購入可能です。

小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

コラム/江戸時代に書かれた戦記物「皆川正中録」(主人公・皆川広照)の「唯一の現代語訳」の価値をご紹介します。※2025年7月再販

皆川正中録 再販

2025年7月、小松義邦氏による現代語訳「皆川正中録」が再販となりました。初版は2022年(令和4年)6月で、ご要望が多かったための再販決定です。唯一の現代語訳です。(以前の書名「口語 別本 皆川正中録」を2025.12の5刷で「現代語訳」と改訂しました)
詳しくは→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

この冊子自体のご紹介は コチラの記事 でしています。

唯一の現代語訳ができるまで、をご紹介

今回は、小松義邦氏に、複数の史料を出してもらいましたので、唯一の現代語訳ができるまでの流れをご紹介したいと思います。

そもそも皆川正中録とは

「皆川正中録」は、皆川城の最後の城主であり栃木城を築いた「皆川広照」を筆頭とする皆川氏の戦記物で、17世紀から18世紀初期頃に書かれたとされています(『栃木県大百科事典』)。多くの人たちに親しまれ、江戸時代には筆写して家に残すほど、地元では歓迎されてきました。
作者の記載がどの写本にも載っていないため、作者名はわかりません。これだけ長く存在が知られている戦記物なのにそんなことあるのね、と驚きですよね。

小松氏によると、登場人物たちが実在の武士たちの名前であるため、複数の地方自治体史(町史・村史)に、史実と誤解されて、誤った記載が残っているそうです。


史料(1)/ 写本1(原文)

まずは、こちらが、栃木県立図書館で入手できる写本です。

江戸時代に誰かが原文を手書きで写したものです。コピー機のない時代、手元にこの戦記を残したいと思った人々が、こうして手書きの写本を作っていたわけです。
小松氏いわく、「関心があって目にしていたけれど、当時の我々は『西方町郷土史研究会』だったので、他の市町村についての古文書を解読する流れはなかったのだよね」とのこと。
ちなみに、漢字だけではなくカタカナが使われていることが意外でした。


史料(2)/ 明治時代の書籍(読み下し文)

明治30年(1897年)に、皆川正中録の一部を講談調の読み下し文にして、「皆川戦記」のタイトルで書籍が出版されました。何かの雑誌に30回にわたって連載されたものをまとめたものだそうで、東京市日本橋の一二三館(ひふみかん)と栃木町の白石東光堂の連携での出版です。それがこちらです。(コピーしたものです)

原文を「読み下した」もので、漢字のすべてにフリガナがついていますが、読点(、)はあるものの句点(。)がなくて一文の区切りがわからないものとなっています。現代ではなかなかこれを読み通せる人は少ないでしょう。


史料(3)/ 昭和の書籍(読み下し文)

昭和11年(1936年)に、鹿沼町の「下野郷土史研究会」から5巻本(第五巻が欠落)(著・大谷瀬平)が出版され、昭和38年(1963年)に、第五巻を補った全6巻の「考註 戦国大名秘録(皆川正中録・全六巻)」(著・日向野徳久)が出版されました。

両書籍とも「読み下し文」で、句読点はありますが、ふりがなが全くありません。


原文と読み下し文のみでした

「皆川正中録」は栃木エリアで有名でありながら、ずっと上記の「原文」「明治の読み下し文」「昭和の読み下し文」でしか存在していませんでした。


史料(4)/ 写本2(原文)――中田益雄家文書

昭和55年(1980年)に、当時の西方町本郷の中田益雄家から二千余点の古文書が県文書館へ寄託されました。その中に全六巻の皆川正中録の写本があることを、西方町郷土史研究会の荒川哲男氏が発見しました。コピーした冊子がこちらです。

小松氏いわく、「西方町の旧家から出た、ということで、私たち『西方町郷土史研究会』が動くことは自然でしたので、荒川哲男氏が解読して解読文を作成し、その解読文をベースに私が読み下し文と口語文を作成して、解読文の冊子と読み下し文・口語文の冊子を『西方町郷土史研究会』で発行しました」。

ちなみに、冒頭の写本は漢字とカタカナで書かれていますが、こちらは漢字とひらがなです。

▼こちらが荒川氏の解読文の冊子です。

▼そして、こちらが小松氏の「読み下し文・口語文」の冊子です。

 ▽読み下し文のページ(下部に小松氏による注釈付き)

 ▽口語文のページ

上記冊子は、B5サイズで、下部に言葉の注釈を多く入れた読み下し文と口語文を掲載した作りでした。

2022年 現代語訳冊子の発行

令和6年(2022年)6月、小松氏が、現代語文だけの冊子作成を行うことを決め、その際に、A5サイズで読みやすいスタイルに改訂しました。

と、そのような流れで、現代語訳「皆川正中録」が誕生しました。口語で皆川正中録が読めるのはこの冊子だけです。現代語なので、物語にすんなりはいりこむことができ、物語を楽しめます。

刊行情報

中田益雄家文書
解 読/荒川哲男
現代語訳/小松義邦
発 行/小松義邦
※栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。

2025年7月再販 の詳細は下記です
「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

この書籍の紹介ページは下記です
「口語 別本 皆川正中録」は、誰もが気楽に楽しめる、初の現代語訳です。皆川広照が活躍します。

小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ 〜皆川広照が活躍する江戸時代の戦記物フィクションの唯一の現代語訳〜

2022年(令和4年)6月に小松義邦氏によって発行された「現代語訳 別本 皆川正中録」が、再販となりました。皆川正中録の全六巻にわたる唯一の現代語訳です。
(以前の書名「口語 別本 皆川正中録」を2025.12の5刷で「現代語訳」と改訂しました)

西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)が撮影した、城址やゆかりあるお寺などのカラー写真20枚が巻頭を飾り、訳者・小松義邦氏による解説・補足説明が随所に挿入されていて、300年前に書かれた「皆川正中録」を現代の私たちが気軽に楽しむことができる一冊となっています。

この本についての詳細は、下記2つの記事をご覧ください。
「口語 別本 皆川正中録」は、誰もが気楽に楽しめる、初の現代語訳です。皆川広照が活躍します。

コラム/江戸時代に書かれた戦記物「皆川正中録」(主人公・皆川広照)の「唯一の現代語訳」の価値をご紹介します

2025年7月再販版
A5版
中田益雄家文書
解 読/荒川哲男
現代語訳/小松義邦
発行/小松義邦
価格/1300円 ※郵送の場合はプラス送料210円。
以前の版との相違点:A4サイズの地図4点をなくしました

※一般流通書籍ではなく、手作り冊子ですので、ご了承の上お求めください。ワープロでの打ち出し原稿を、印刷・製本しています。普段は製本まで小松義邦ご夫婦による手作業なのですが、この再販版は印刷所による印刷・製本です。

小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

小松義邦コラム/皆川広照の「皆川家臣帳」の宿題の答え――大坂の陣の討死者のこと 2025年10月

このコラムは、小松義邦氏による、2025年10月12日のコラムです。※10月5日公開のコラムを改訂しました。▼

皆川家の討死者名簿について

2025年1月に、皆川家の家臣の名簿3点を、解説を入れて冊子として発行した。その後、2025年6月に『皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む』を作ったあと、2021年に私自身が復刻した近藤兼利 著の「皆川広照伝」の末尾の付録に、582名掲載の「皆川家臣討死者記録」を発見。それを加えて名簿4つとした改訂版を「皆川家臣帳」と名付けて、2025年9月に発行した。

「皆川家臣帳」2025年9月発行版での「今後の研究課題」について

その2025年9月発行の「皆川家臣帳」の「解題」に「晴天の霹靂」と書かざるを得ないほどに私が驚いたのは、「皆川家臣討死者記録」の最終頁に「元和元年五月六、七日大坂の陣」という項があって、そこに八十三名の名前があったことである。人数が多すぎるのである。

私は、解題の100頁に「なぜ『皆川家臣討死者記録』にこのような記述が残されていたのか、その意図を汲み取ることは編者(小松)にはできない。とはいえ、これはこれで、今後の研究課題とされるべきであろうと思う。」と書いた。

その後、考察を重ね、私としての結論を得たので、お伝えしたいと思う。形式としては、「皆川家臣帳」増刷の際に、最終項として追加するであろう形として、記載させていただく。
(現在販売中の「皆川家臣帳」には、下記内容の複数ページを、付録として同梱しています)

「大坂の陣の討死者八十三名」のこと

……

さて、最後に大変大きな命題が顔を出してきた。それは従来までの皆川氏関連書では窺えない「大坂夏の陣」での八十三名の討死者の名簿である。この八十三名の中には、本書78頁にある「皆川家臣討死帳」の大坂の陣討死者七名の内の、膝附大膳以外の六名の名もある。(膝附大膳については後述)

広照父子と共に大坂の陣へ参加した人数は、近藤兼利氏は三十四名、大森隆司氏は三十七名とそれぞれの著書にあるので、ここにきて八十三名の討死者があったという「討死者記録」が残されていたということは、筆者にとってはまさに「晴天の霹靂(急に起きる雷の大きな音)jという言葉そのままの衝撃であった。

有り得ない、からの考察

だが、これほどの討死者を出せるほどの兵力で広照らが参戦できたとはとても思えない。この「討死者記録」が前述の両氏の著書の「付録」として付けられていながら、両氏がこのことに一言も触れていないのも、同じ判断からかもしれない。

ではなぜ「皆川家臣討死者記録」にこのような記述が残されていたのか、この点について少し考えてみたいと思う。

この「記録」の書式の流れから見れば、ここに掲示された八十三名の名はどう見ても「討死者名」である。先述したように、名簿冒頭の「布施木平左衛門・今川民部・竹沢佐五郎(佐太・柴田下総・辺見団蔵・安生産内」の六名を見れば、本書78頁の「皆川家臣討死帳」の記載内容と同じであることから、「討死帳」として受け取らざるを得ない気になる。

名簿から抜けていた膝附大膳

なお、この「討死帳」にある膝附大膳の名が「討死者記録」に記されていないのは正しいことである。膝附大膳は、後年(日付未記載)「膝附大膳覚書」を残していて、その文の書き出しに
「先年慶長卯の年、大坂御陣の時、私は皆川志摩守隆庸様のお供をして、井伊掃部頭様の陣に加わり功名を挙げました。」(意訳)
とあるので、むしろ、前記「討死帳」に名があることが誤りなのでる。

ちなみに、「皆川家臣討死帳」の天正十二年の「川原田」の項に馬廻り膝附大膳の名があり、天正十六年の「草倉」の項には大目付膝附大膳亮(だいぜんのすけ)の名がある。

有り得ない、理由

さてそれはそれとして、大坂の陣での討死者が八十三人というのは有り得ないことであって、その理由は大きく分けて次のように二つある。

その―つは、これほどの人数の討死者を出す戦いとなれば、数百人規模の軍団で交戦して大敗した時ということになる。しかし、徳川の関連家臣と認められていない者たちの陣借り集団がそれほどの規模で参加できるわけがない、ということである。

二つ目は、ここに記された氏名を、五十音順に並べ換えてみると見えてくる。

元和元年五月六、七日 大坂の陣

安生産内 安生大膳 安生利左衛門
新井豊前守 新井丹後守 新井図書 新井助八郎
荒井重左衛門 荒井新左衛門
飯田但馬
池田重兵衛
石川太左衛門 石川左内
今川民部
氏家和泉守 氏家三太夫 氏家善次郎 氏家吉右衛門 氏家与四郎
氏家源之丞 氏家監物 氏家清七 氏家利兵衛 氏家清左衛門
大沢兵左衛門 大沢伝右衛門 大沢四郎衛門
大島新兵衛 大島市左衛門
小倉丹波守 小倉清兵衛
押山嘉右衛門
小曽戸惣左衛門 小曽戸三右衛門
小曽根僭濃
落合越前守 落合与惣左衛門 落合文右衛門 落合重助
柏倉豊前守 柏倉九左衛門 柏倉加左衛門 柏倉次左衛門
加藤新左衛門
小竹孫左衛門
佐熊淡路守
柴田下総
関口若狭守 関口善右衛門 関口清太郎
早乙女久助
高田主水 高田権兵衛
高林所左衛門
竹沢佐五郎
田城久左衛門
立川監物 立川吉之丞
田中久作 田中右衛門
中田四郎兵衛 中田九兵衛
仁田儀左衛門
新田内匠
日向野次右衛門
福田孫右衛門
布施木兵左衛門
辺見団蔵
巻島主水
松山肥後守 松山左次兵衛 松山長左衛門
松本伊賀守 松本四郎兵衛 松本平右衛門
森田伊豆守 森田長右衛門 森田三右衛門 森田清蔵 森田清左衛門
渡邊藤左衛門 渡邊久右衛門 渡邊隼人

単独名も多いが、何々の守という受領名を持つ者を頭にして三~八人もの同族が名を連ねている家が大半であり、これはあきらかに一族旗揚げ(挙兵)の姿である。これが、このまま大坂の陣での討死者となれば、下野皆川の地は大パニックに陥ってしまう。それは、領主としての皆川家が存在しない限り何の補償も出ないからである。

したがって、これはどう見ても有り得ないことであるといえる

結論 ―― その名簿は何か

以上のことから、この「大坂の陣」の部分に限っては「討死者記録」ではなく、「大坂夏の陣」への参加を希望して、武州(江戸)千住の広照父子の宿へ集まった(「皆川歴代記」)人の「交名帳(こうみょうちょう)」、または、事情で参加できなかった人たちの無念の思いのこもった「連判帳」ではないかと思われる。
※「交名帳」とは、「主旨に賛同する人々の名を連ねた文書。」(『戦国古文書用語辞典』)

それは、本書80頁の「大坂表供奉」(大阪の陣に参加した者の名簿)三十四名の内の前記討死者六名を除く他の者の名が一人も入っていないところからも推測されることである。

慶長十四年に家康の勘気を受けた広照に連座して浪々の身となり、多くの旧臣に助けられて再起への手がかりを掴みかけた隆庸と共にその身を挺して功名を挙げたいと願って、                                                          はるばる下野から駆けつけた人々の、熱い思いのこもった連判状の写しであったと思いたい。

ここで再度名前を出すが、膝附家は皆川家の重臣で、同じ官途名の膝附大膳が、過去に二人も討死していることは先にも述べた。令和三年に県立栃木博物館で行なわれた「長沼氏から皆川氏へ」の展示会場の展示物に膝附家に関する書状の写しが六点あり、そのうちの「五十」に「皆川隆庸官途状写」があり、『図録』に付けられた「読み下し」は次のようになっている。

  官途の事申し上げるに付き、すなわちこれを成し下さる者なり
       慶長十五 霜月吉日 隆庸(花押影)
       □□大膳亮

[解説]
皆川隆庸は、慶長十四年( 一六〇九)に父広照が徳川家康の勘気をこうむって所領を没収されたのに連座して没落した。これにともない、膝附常正も牢(浪)人を余儀なくされたものとみられるが、その後も隆庸への奉仕を怠らなかったため、その恩賞として大膳亮の官途を与えられた。大膳亮の実名は、膝附家系図では常正とされる。

このように、主家を失った者の再仕官の道は険しく、旧主を助け、再起への努力を続ける人たちの多い時代であった。このとき、費用不足などで戦旅を断念せざるを得なかった者たちの尽忠の思いをこめた名簿と、大坂の陣での討死者の名簿とが合わせて書き写されてきたものが、「討死者記録」であろう。

所感

私のたどり着いた結論が正解であるとするなら、旧主家のため、ひいては自分たちのためにと張り切って皆川を出て江戸の外れの千住の宿に集まってはみたものの、百人もの人数での陣借りは難しいという状況と、全員の戦費・旅費を自分たちでまかなうことができないという現実に直面し、さぞや辛いことだっただろう。

地元の声援を受けて出てきたけれど、資金がないという現実があり、協議した結果として主従合わせて三十六名のみが大坂への途につくことになり、別れの盃を交わすことことになる。そして、残留する者たちが、皆川の地へ帰るにあたり自分たちの志をせめてもの形にして残したいとの思いで、その席で名前を書き連ねた連判状を、広照に差し出したのだと思う。

その連判状が、その後も大切に伝えられ次々と書き写され、討死した六名の名とともに村方に広く伝えられ、どこかで一枚に書き継がれた際に「討死者記録」とされてしまったのだろう。

この一連の名簿の向こうに、千住での別れの宴の情景が見えるようで、胸が詰まる。思いのこもった連判状と受け止めて、この「皆川家臣討死者記録」を大切に残したいものである。

刊行情報

『皆川家臣帳』
2025年9月 改訂版発行
A5版
編集・解説執筆/小松義邦
発行/小松義邦
在庫あり 600円(郵送の場合はプラス送料210円)

詳しくは下記ページをご覧ください。
「皆川家臣帳」は皆川広照を筆頭とする皆川家の「家臣たち」の名前を後代に残します。2025年9月改訂版発行

小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「皆川家臣記」は皆川広照を筆頭とする皆川家の「家臣たち」の名前を後代に残します

「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「口語 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ
当「皆川家臣記」再販のおしらせ
こちらの「皆川家臣記」の再販を2025.7に開始しました。「写真ページを10ページから2ページに減らした軽装版」で、料金を500円に抑えました。詳細は当ページ最下部にて。

皆川広照公を筆頭とする皆川家の家臣の名簿が3つあり、それをとりまとめた貴重な資料が、2025年1月発行のこの冊子です。小松義邦氏が編集し、解説を入れています。

◎旧代 皆川家臣記(受領・官途賜者)
◎皆川先祖譜代家臣(一千八百余名)
◎皆川家臣討死帳(日付肩書付き)

小松義邦氏の「あとがき」によれば、
「この時代を支えた皆川家家臣の大きな力について改めて考えさせられました。皆川家の家臣、そして、時代を支えるために命を空しくした方々のことを思う時、これらの人々の名前だけでもぜひとも後代に伝えたいと思ったことでした」
との思いで作成されたそうです。

巻頭10ページは、皆川家関連宝物の展示・公開・写真撮影に皆川家の菩提寺である金剛寺さんの多大な協力を得て、西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)が撮影したカラー写真が彩っています。

2025年1月(令和7年)
A5版・100P
編集・解説執筆/小松義邦
発行/小松義邦

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。

2025.8現在、「軽装版」を500円(郵送の場合はプラス送料210円)で販売中です。(詳細は下記)

――――――――――

★重要/再販のおしらせ★
ご要望を受け、こちらの「皆川家臣記」の再販を2025.7に開始しました。「写真ページを10ページから2ページに減らした軽装版」で、料金を500円(郵送の場合は送料210円)に抑えました。なお、諸般の事情により、ノンブル(下部のページ数表記)は、通常「1」からのところ、「145」からのスタートとなっています点、あらかじめご了承ください。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣記(軽装版として2025.7再販) 500円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
口語 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
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栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

『口語 皆川歴代記』を読むと、皆川広照公の晩年や皆川家の子孫について知ることができる

その前に……「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「口語 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ
当「口語 皆川歴代記」改訂版発行のおしらせ
当「口語 皆川歴代記」の改訂版を2025年8月に発行しました。800円+送料210円す。

皆川広照の後期や子孫について書かれています

皆川城の最後の城主「皆川広照」は、栃木市が誇る戦国武将です。

その活躍を記した書は多数あり、小松義邦氏の冊子の中にも「皆川正中録」「皆川広照伝」がありますが、広照の後期や子孫について読みやすく書かれたものは、なかなかありません。

そこで、小松義邦氏が、2024年(令和6年)11月に発行したのが、「口語 皆川歴代記」です。

子孫の皆川又太郎氏発行の非売品冊子の口語訳です

原著は、皆川家の子孫の皆川又太郎氏が、1977年(昭和52年)に非売品として発行した書籍『皆川歴代記』で、皆川家に伝わる古文書を読み下し文として残したものです。皆川広照公が主君忠輝に関連して一時期には失脚したことや、子息の隆庸公や他の子孫のその後について記されています。

今回それを、小松氏が、皆川又太郎氏のご家族からご快諾をいただいて、口語訳として復刻しました。

小松義邦氏のあとがきによれば、約15年ほど前に栃木市図書館で閲覧したことがあったそうで、「一般図書として、前記二冊の冊子と共に、多くの人に手軽に読み継いでもらえるものとしてなんとか残したいと思いました」とのこと。

写真10ページを掲載

この厚さ1cmほどの書籍は、冒頭を、栃木市西方町の写真家・古澤悦夫氏撮影によるカラーのフォトギャラリー10ページが飾っています。

当冊子の特徴

現代人には読みづらい「読み下し文」が、小松氏による2カ月にわたる作業によって口語訳されて、誰にでも読めるものとなっていることが素晴らしく、盟友古澤氏によるカラー写真があることで、過去の歴史に、確かにあったこととしての息吹が与えられています。

そして、全体約160ページの、前半約80ページが「皆川歴代記」で、残り約80ページが、「付録/皆川歴代記理解のために」となっていて、後者には、皆川家を語る多数の記事が引用として掲載されています。歴史に造詣が深く、猛烈な読書家である小松氏でなければできない偉業だと思います。また、小松氏の複数のコラムも掲載されています。

2025年8月の改訂版について

初版では、巻末に、家臣団の成り立ちや戦歴がくみ取れる「皆川歴代家臣着当討死帳」を付けていましたが、その後、そちらは別冊子『皆川家臣記・皆川先祖譜代家臣・皆川家臣討死帳』に組み込み(その後、改訂して『皆川家臣帳』として発行)、2025年8月の改訂版では外しました。
それに代わり、下記を追加しています。

◎『徳川實紀(じっき)』に遺された皆川広照・隆庸父子

口語訳10ページ&解説4ページ
新たに小松義邦氏が「徳川實紀(じっき)』に皆川父子の大坂の陣以降についての複数の記述を発見したので、それらの箇所の小松義邦氏による口語訳を掲載しています。解説「編者独言」もあります。

◎水谷(みずのや)と皆川について

13ページ
上の記載に出てきた水谷(みずのや)家について調べ、小松義邦氏による口語訳を掲載しています。皆川家との関係も記載されています。

刊行情報

初回版 2024年11月(令和6年)
改訂版 2025年8月(令和7年)
A5版
原本著者/皆川又太郎
口語訳・編集/小松義邦
発行/小松義邦

初回冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
改訂版を800円+送料210円でご購入いただけます。併せて下記もご購入可能です。

小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
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栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「現代語訳 別本 皆川正中録」は、誰もが気楽に楽しめる、初の現代語訳です。皆川広照が活躍します。

誰もが気楽に楽しめます

2022年(令和4年)6月に小松義邦氏によって発行されたのが、「現代語訳 別本 皆川正中録」です。皆川正中録の全六巻にわたる初の現代語訳で、誰もが気楽に楽しめる、画期的な現代語訳となっています。(以前の書名「口語 別本 皆川正中録」を2025.12の5刷で「現代語訳」と改訂しました)

★2025/6/23 多くのご要望を受けまして、再販となりました。
詳しくは→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

皆川正中録とは

17世紀から18世紀初期頃に書かれたとされる「皆川正中録」は、皆川城の最後の城主であり栃木城を築いた「皆川広照」を筆頭とする皆川氏の軍記ものです。皆川氏は地元にとって歴史上の大切な存在でありながら、治世や戦歴の資料が少ないため、「皆川正中録」は、虚構の軍記ものながら、多くの人たちに親しまれ、筆写して家に残すほど地元では歓迎されてきました。

現代人には読むのは難しいものでした

ですが、これまでに発行されたものは、江戸時代の写本にあった原文と、昭和に発行されたフリガナなしの読み下し文のみのため、常用漢字と現代かなづかいで育った私たちには、読むには難易度の高いものとなっていました。

小松氏がご自身用の資料として作成した「石裂山考(おざくさんこう)」にも、「この物語(皆川正中録)の全体を読んだことがあるという人は意外に少なく、『図書館で見つけて喜んだまでは良かったが、漢字が多くあって、しかもフリガナがないので途中までしか読めなかった』とか『古書店で見つけて買ってきたが、結局は読み通せないままになっている』という声を聞く」と記されています。

1980年に西方町でも写本が発見されました

実は1980年(昭和55年)に当時の西方町本郷の中田益雄家から二千余点の古文書が県文書館へ寄託され、その中に全六巻の皆川正中録の写本があることがわかり、西方町郷土史研究会の荒川哲男氏が解読を行い、そこから小松義邦氏が読み下し文と現代語訳文を作成して、冊子として残したことがあったそうです。

2022年、小松義邦氏がこの現代語訳冊子を発行

2022年、「皆川広照伝」を復刻し、皆川正中録の巻五から翻案された「炎の城 ―西方城物語―」を復刻した流れを受けて、改めて、現代語訳を一冊の本として作成することを思い立ったとのことです。

この本は、西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)が撮影した、城址やゆかりあるお寺などのカラー写真20枚が巻頭を飾り、訳者・小松義邦氏による解説・補足説明が随所に挿入されていて、300年前に書かれた「皆川正中録」を現代の私たちが気軽に楽しむことができる一冊となっています。

下野新聞 掲載記事

刊行情報

2022年5月(令和04年)
A5版・192P
中田益雄家文書
解 読/荒川哲男
現代語訳/小松義邦
発 行/西方南部地区コミュニティ推進協議会
こちらは、栃木市の各図書館でもご覧いただくことができます。

2025年7月再販版情報

2025年7月再販版は
発行/小松義邦
価格/1300円 ※郵送の場合はプラス送料210円。
詳しくは→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ
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コラムで詳細を紹介

2025.7.2 コラムをアップしました。コラム/江戸時代に書かれた戦記物「皆川正中録」(主人公・皆川広照)の「唯一の現代語訳訳」の価値をご紹介します

小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「皆川広照伝(近藤兼利 著)」が、63年ぶりに、読みやすくなって復刻されました。

その前に……「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「口語 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

「皆川広照伝」読みやすくなって復刻

1958年(昭和33年)に発行された、近藤兼利 著の「皆川広照伝」が、2021年(令和3年)、読みやすくなって復刻されました。

発行は「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」で、復刻者は小松義邦氏。冒頭に、大川秀子栃木市長からの祝辞が掲載されています。

皆川広照とは

皆川城の最後の城主で栃木城を築城した皆川広照は、栃木市の皆川エリアでは有名な歴史上の人物で、江戸時代に書かれた軍記もの「皆川正中録」の主人公のひとりです。

幻の書だった「皆川広照伝」

ですが、復刻者の小松義邦氏のあとがきによれば、「現在では、皆川氏、特に皆川広照についての書籍としては『下野戦国史~皆川広照の生涯』(大森隆司著)しか目に止まりません。この書の前書きで大森氏が『皆川広照についての最も信頼性の高い歴史研究書』と評しておられる近藤兼利著『皆川広照伝』も、昭和33年発行のもので現在では幻の書になっています。図書館で読めたとしても経年で紙の変色が激しく、活字も小さいので、非常に読みづらい誌面になっているのを残念に思っていました」という状況でした。

復刻への流れ

そんなある日、「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」会長の麦倉信二氏が、郷土史家の小松義邦氏に、「『皆川広照伝』の発行人の落合氏から生前、この書の再刊を寄託されたのだけれど、方法はないだろうか」と相談したことから、事態が動きます。

父・小松義邦氏から聞いた話によれば、数日後、麦倉氏のもとを訪れて次のような申し出をしたそうです。

持参したのは、1958年(昭和33年)発行の「皆川広照伝」の、文字が小さく紙が劣化している誌面を拡大コピーして読み取って、新たに入力して打ち出した数ページのプリントアウト。「この形ですべてを入力し直して私家版として作成するのでよければ、再刊できます。手作り製本なので、大金はかかりません。よろしければご協力します」と。

麦倉氏は、そのプリントアウトの仕上がりと入力に要した期間の短さにとても驚かれ、ご自身の長年の願いが叶うその提案に、とても喜ばれたそうです。

そして、復刻のご承諾を発行者の落合氏のご家族から得ることができ、この復刻版が生まれました。

読みやすい紙面

とても読みやすい紙面となっていて、消えかけていた幻の本を現代によみがえらせることができ、大きな意味ある復刻となりました。

カラー写真が巻頭に

西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)による、皆川城や皆川氏の菩提寺である金剛寺や皆川城のカラー写真が、巻頭を飾っています

下野新聞 掲載記事

刊行情報

2021年12月(令和03年)
A5版・173P
原著者/近藤兼利
復刻者/小松義邦
編集・発行/皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
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なお、皆川公民館 窓口にて、700円にて販売しています。ご来訪が難しい場合は、下記からご連絡いただければ、代わりに購入して郵送いたします。
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小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。