小松義邦

小松義邦コラム/皆川広照の「皆川家臣帳」の宿題の答え――大坂の陣の討死者のこと 2025年10月

このコラムは、小松義邦氏による、2025年10月12日のコラムです。※10月5日公開のコラムを改訂しました。▼

皆川家の討死者名簿について

2025年1月に、皆川家の家臣の名簿3点を、解説を入れて冊子として発行した。その後、2025年6月に『皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む』を作ったあと、2021年に私自身が復刻した近藤兼利 著の「皆川広照伝」の末尾の付録に、582名掲載の「皆川家臣討死者記録」を発見。それを加えて名簿4つとした改訂版を「皆川家臣帳」と名付けて、2025年9月に発行した。

「皆川家臣帳」2025年9月発行版での「今後の研究課題」について

その2025年9月発行の「皆川家臣帳」の「解題」に「晴天の霹靂」と書かざるを得ないほどに私が驚いたのは、「皆川家臣討死者記録」の最終頁に「元和元年五月六、七日大坂の陣」という項があって、そこに八十三名の名前があったことである。人数が多すぎるのである。

私は、解題の100頁に「なぜ『皆川家臣討死者記録』にこのような記述が残されていたのか、その意図を汲み取ることは編者(小松)にはできない。とはいえ、これはこれで、今後の研究課題とされるべきであろうと思う。」と書いた。

その後、考察を重ね、私としての結論を得たので、お伝えしたいと思う。形式としては、「皆川家臣帳」増刷の際に、最終項として追加するであろう形として、記載させていただく。
(現在販売中の「皆川家臣帳」には、下記内容の複数ページを、付録として同梱しています)

「大坂の陣の討死者八十三名」のこと

……

さて、最後に大変大きな命題が顔を出してきた。それは従来までの皆川氏関連書では窺えない「大坂夏の陣」での八十三名の討死者の名簿である。この八十三名の中には、本書78頁にある「皆川家臣討死帳」の大坂の陣討死者七名の内の、膝附大膳以外の六名の名もある。(膝附大膳については後述)

広照父子と共に大坂の陣へ参加した人数は、近藤兼利氏は三十四名、大森隆司氏は三十七名とそれぞれの著書にあるので、ここにきて八十三名の討死者があったという「討死者記録」が残されていたということは、筆者にとってはまさに「晴天の霹靂(急に起きる雷の大きな音)jという言葉そのままの衝撃であった。

有り得ない、からの考察

だが、これほどの討死者を出せるほどの兵力で広照らが参戦できたとはとても思えない。この「討死者記録」が前述の両氏の著書の「付録」として付けられていながら、両氏がこのことに一言も触れていないのも、同じ判断からかもしれない。

ではなぜ「皆川家臣討死者記録」にこのような記述が残されていたのか、この点について少し考えてみたいと思う。

この「記録」の書式の流れから見れば、ここに掲示された八十三名の名はどう見ても「討死者名」である。先述したように、名簿冒頭の「布施木平左衛門・今川民部・竹沢佐五郎(佐太・柴田下総・辺見団蔵・安生産内」の六名を見れば、本書78頁の「皆川家臣討死帳」の記載内容と同じであることから、「討死帳」として受け取らざるを得ない気になる。

名簿から抜けていた膝附大膳

なお、この「討死帳」にある膝附大膳の名が「討死者記録」に記されていないのは正しいことである。膝附大膳は、後年(日付未記載)「膝附大膳覚書」を残していて、その文の書き出しに
「先年慶長卯の年、大坂御陣の時、私は皆川志摩守隆庸様のお供をして、井伊掃部頭様の陣に加わり功名を挙げました。」(意訳)
とあるので、むしろ、前記「討死帳」に名があることが誤りなのでる。

ちなみに、「皆川家臣討死帳」の天正十二年の「川原田」の項に馬廻り膝附大膳の名があり、天正十六年の「草倉」の項には大目付膝附大膳亮(だいぜんのすけ)の名がある。

有り得ない、理由

さてそれはそれとして、大坂の陣での討死者が八十三人というのは有り得ないことであって、その理由は大きく分けて次のように二つある。

その―つは、これほどの人数の討死者を出す戦いとなれば、数百人規模の軍団で交戦して大敗した時ということになる。しかし、徳川の関連家臣と認められていない者たちの陣借り集団がそれほどの規模で参加できるわけがない、ということである。

二つ目は、ここに記された氏名を、五十音順に並べ換えてみると見えてくる。

元和元年五月六、七日 大坂の陣

安生産内 安生大膳 安生利左衛門
新井豊前守 新井丹後守 新井図書 新井助八郎
荒井重左衛門 荒井新左衛門
飯田但馬
池田重兵衛
石川太左衛門 石川左内
今川民部
氏家和泉守 氏家三太夫 氏家善次郎 氏家吉右衛門 氏家与四郎
氏家源之丞 氏家監物 氏家清七 氏家利兵衛 氏家清左衛門
大沢兵左衛門 大沢伝右衛門 大沢四郎衛門
大島新兵衛 大島市左衛門
小倉丹波守 小倉清兵衛
押山嘉右衛門
小曽戸惣左衛門 小曽戸三右衛門
小曽根僭濃
落合越前守 落合与惣左衛門 落合文右衛門 落合重助
柏倉豊前守 柏倉九左衛門 柏倉加左衛門 柏倉次左衛門
加藤新左衛門
小竹孫左衛門
佐熊淡路守
柴田下総
関口若狭守 関口善右衛門 関口清太郎
早乙女久助
高田主水 高田権兵衛
高林所左衛門
竹沢佐五郎
田城久左衛門
立川監物 立川吉之丞
田中久作 田中右衛門
中田四郎兵衛 中田九兵衛
仁田儀左衛門
新田内匠
日向野次右衛門
福田孫右衛門
布施木兵左衛門
辺見団蔵
巻島主水
松山肥後守 松山左次兵衛 松山長左衛門
松本伊賀守 松本四郎兵衛 松本平右衛門
森田伊豆守 森田長右衛門 森田三右衛門 森田清蔵 森田清左衛門
渡邊藤左衛門 渡邊久右衛門 渡邊隼人

単独名も多いが、何々の守という受領名を持つ者を頭にして三~八人もの同族が名を連ねている家が大半であり、これはあきらかに一族旗揚げ(挙兵)の姿である。これが、このまま大坂の陣での討死者となれば、下野皆川の地は大パニックに陥ってしまう。それは、領主としての皆川家が存在しない限り何の補償も出ないからである。

したがって、これはどう見ても有り得ないことであるといえる

結論 ―― その名簿は何か

以上のことから、この「大坂の陣」の部分に限っては「討死者記録」ではなく、「大坂夏の陣」への参加を希望して、武州(江戸)千住の広照父子の宿へ集まった(「皆川歴代記」)人の「交名帳(こうみょうちょう)」、または、事情で参加できなかった人たちの無念の思いのこもった「連判帳」ではないかと思われる。
※「交名帳」とは、「主旨に賛同する人々の名を連ねた文書。」(『戦国古文書用語辞典』)

それは、本書80頁の「大坂表供奉」(大阪の陣に参加した者の名簿)三十四名の内の前記討死者六名を除く他の者の名が一人も入っていないところからも推測されることである。

慶長十四年に家康の勘気を受けた広照に連座して浪々の身となり、多くの旧臣に助けられて再起への手がかりを掴みかけた隆庸と共にその身を挺して功名を挙げたいと願って、                                                          はるばる下野から駆けつけた人々の、熱い思いのこもった連判状の写しであったと思いたい。

ここで再度名前を出すが、膝附家は皆川家の重臣で、同じ官途名の膝附大膳が、過去に二人も討死していることは先にも述べた。令和三年に県立栃木博物館で行なわれた「長沼氏から皆川氏へ」の展示会場の展示物に膝附家に関する書状の写しが六点あり、そのうちの「五十」に「皆川隆庸官途状写」があり、『図録』に付けられた「読み下し」は次のようになっている。

  官途の事申し上げるに付き、すなわちこれを成し下さる者なり
       慶長十五 霜月吉日 隆庸(花押影)
       □□大膳亮

[解説]
皆川隆庸は、慶長十四年( 一六〇九)に父広照が徳川家康の勘気をこうむって所領を没収されたのに連座して没落した。これにともない、膝附常正も牢(浪)人を余儀なくされたものとみられるが、その後も隆庸への奉仕を怠らなかったため、その恩賞として大膳亮の官途を与えられた。大膳亮の実名は、膝附家系図では常正とされる。

このように、主家を失った者の再仕官の道は険しく、旧主を助け、再起への努力を続ける人たちの多い時代であった。このとき、費用不足などで戦旅を断念せざるを得なかった者たちの尽忠の思いをこめた名簿と、大坂の陣での討死者の名簿とが合わせて書き写されてきたものが、「討死者記録」であろう。

所感

私のたどり着いた結論が正解であるとするなら、旧主家のため、ひいては自分たちのためにと張り切って皆川を出て江戸の外れの千住の宿に集まってはみたものの、百人もの人数での陣借りは難しいという状況と、全員の戦費・旅費を自分たちでまかなうことができないという現実に直面し、さぞや辛いことだっただろう。

地元の声援を受けて出てきたけれど、資金がないという現実があり、協議した結果として主従合わせて三十六名のみが大坂への途につくことになり、別れの盃を交わすことことになる。そして、残留する者たちが、皆川の地へ帰るにあたり自分たちの志をせめてもの形にして残したいとの思いで、その席で名前を書き連ねた連判状を、広照に差し出したのだと思う。

その連判状が、その後も大切に伝えられ次々と書き写され、討死した六名の名とともに村方に広く伝えられ、どこかで一枚に書き継がれた際に「討死者記録」とされてしまったのだろう。

この一連の名簿の向こうに、千住での別れの宴の情景が見えるようで、胸が詰まる。思いのこもった連判状と受け止めて、この「皆川家臣討死者記録」を大切に残したいものである。

刊行情報

『皆川家臣帳』
2025年9月 改訂版発行
A5版
編集・解説執筆/小松義邦
発行/小松義邦
在庫あり 600円(郵送の場合はプラス送料210円)

詳しくは下記ページをご覧ください。
「皆川家臣帳」は皆川広照を筆頭とする皆川家の「家臣たち」の名前を後代に残します。2025年9月改訂版発行

小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「皆川家臣記」は皆川広照を筆頭とする皆川家の「家臣たち」の名前を後代に残します

「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「口語 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ
当「皆川家臣記」再販のおしらせ
こちらの「皆川家臣記」の再販を2025.7に開始しました。「写真ページを10ページから2ページに減らした軽装版」で、料金を500円に抑えました。詳細は当ページ最下部にて。

皆川広照公を筆頭とする皆川家の家臣の名簿が3つあり、それをとりまとめた貴重な資料が、2025年1月発行のこの冊子です。小松義邦氏が編集し、解説を入れています。

◎旧代 皆川家臣記(受領・官途賜者)
◎皆川先祖譜代家臣(一千八百余名)
◎皆川家臣討死帳(日付肩書付き)

小松義邦氏の「あとがき」によれば、
「この時代を支えた皆川家家臣の大きな力について改めて考えさせられました。皆川家の家臣、そして、時代を支えるために命を空しくした方々のことを思う時、これらの人々の名前だけでもぜひとも後代に伝えたいと思ったことでした」
との思いで作成されたそうです。

巻頭10ページは、皆川家関連宝物の展示・公開・写真撮影に皆川家の菩提寺である金剛寺さんの多大な協力を得て、西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)が撮影したカラー写真が彩っています。

2025年1月(令和7年)
A5版・100P
編集・解説執筆/小松義邦
発行/小松義邦

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。

2025.8現在、「軽装版」を500円(郵送の場合はプラス送料210円)で販売中です。(詳細は下記)

――――――――――

★重要/再販のおしらせ★
ご要望を受け、こちらの「皆川家臣記」の再販を2025.7に開始しました。「写真ページを10ページから2ページに減らした軽装版」で、料金を500円(郵送の場合は送料210円)に抑えました。なお、諸般の事情により、ノンブル(下部のページ数表記)は、通常「1」からのところ、「145」からのスタートとなっています点、あらかじめご了承ください。

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣記(軽装版として2025.7再販) 500円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
口語 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

『口語 皆川歴代記』を読むと、皆川広照公の晩年や皆川家の子孫について知ることができる

その前に……「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「口語 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ
当「口語 皆川歴代記」改訂版発行のおしらせ
当「口語 皆川歴代記」の改訂版を2025年8月に発行しました。800円+送料210円す。

皆川広照の後期や子孫について書かれています

皆川城の最後の城主「皆川広照」は、栃木市が誇る戦国武将です。

その活躍を記した書は多数あり、小松義邦氏の冊子の中にも「皆川正中録」「皆川広照伝」がありますが、広照の後期や子孫について読みやすく書かれたものは、なかなかありません。

そこで、小松義邦氏が、2024年(令和6年)11月に発行したのが、「口語 皆川歴代記」です。

子孫の皆川又太郎氏発行の非売品冊子の口語訳です

原著は、皆川家の子孫の皆川又太郎氏が、1977年(昭和52年)に非売品として発行した書籍『皆川歴代記』で、皆川家に伝わる古文書を読み下し文として残したものです。皆川広照公が主君忠輝に関連して一時期には失脚したことや、子息の隆庸公や他の子孫のその後について記されています。

今回それを、小松氏が、皆川又太郎氏のご家族からご快諾をいただいて、口語訳として復刻しました。

小松義邦氏のあとがきによれば、約15年ほど前に栃木市図書館で閲覧したことがあったそうで、「一般図書として、前記二冊の冊子と共に、多くの人に手軽に読み継いでもらえるものとしてなんとか残したいと思いました」とのこと。

写真10ページを掲載

この厚さ1cmほどの書籍は、冒頭を、栃木市西方町の写真家・古澤悦夫氏撮影によるカラーのフォトギャラリー10ページが飾っています。

当冊子の特徴

現代人には読みづらい「読み下し文」が、小松氏による2カ月にわたる作業によって口語訳されて、誰にでも読めるものとなっていることが素晴らしく、盟友古澤氏によるカラー写真があることで、過去の歴史に、確かにあったこととしての息吹が与えられています。

そして、全体約160ページの、前半約80ページが「皆川歴代記」で、残り約80ページが、「付録/皆川歴代記理解のために」となっていて、後者には、皆川家を語る多数の記事が引用として掲載されています。歴史に造詣が深く、猛烈な読書家である小松氏でなければできない偉業だと思います。また、小松氏の複数のコラムも掲載されています。

2025年8月の改訂版について

初版では、巻末に、家臣団の成り立ちや戦歴がくみ取れる「皆川歴代家臣着当討死帳」を付けていましたが、その後、そちらは別冊子『皆川家臣記・皆川先祖譜代家臣・皆川家臣討死帳』に組み込み(その後、改訂して『皆川家臣帳』として発行)、2025年8月の改訂版では外しました。
それに代わり、下記を追加しています。

◎『徳川實紀(じっき)』に遺された皆川広照・隆庸父子

口語訳10ページ&解説4ページ
新たに小松義邦氏が「徳川實紀(じっき)』に皆川父子の大坂の陣以降についての複数の記述を発見したので、それらの箇所の小松義邦氏による口語訳を掲載しています。解説「編者独言」もあります。

◎水谷(みずのや)と皆川について

13ページ
上の記載に出てきた水谷(みずのや)家について調べ、小松義邦氏による口語訳を掲載しています。皆川家との関係も記載されています。

刊行情報

初回版 2024年11月(令和6年)
改訂版 2025年8月(令和7年)
A5版
原本著者/皆川又太郎
口語訳・編集/小松義邦
発行/小松義邦

初回冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
改訂版を800円+送料210円でご購入いただけます。併せて下記もご購入可能です。

小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「現代語訳 別本 皆川正中録」は、誰もが気楽に楽しめる、初の現代語訳です。皆川広照が活躍します。

誰もが気楽に楽しめます

2022年(令和4年)6月に小松義邦氏によって発行されたのが、「現代語訳 別本 皆川正中録」です。皆川正中録の全六巻にわたる初の現代語訳で、誰もが気楽に楽しめる、画期的な現代語訳となっています。(以前の書名「口語 別本 皆川正中録」を2025.12の5刷で「現代語訳」と改訂しました)

★2025/6/23 多くのご要望を受けまして、再販となりました。
詳しくは→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

皆川正中録とは

17世紀から18世紀初期頃に書かれたとされる「皆川正中録」は、皆川城の最後の城主であり栃木城を築いた「皆川広照」を筆頭とする皆川氏の軍記ものです。皆川氏は地元にとって歴史上の大切な存在でありながら、治世や戦歴の資料が少ないため、「皆川正中録」は、虚構の軍記ものながら、多くの人たちに親しまれ、筆写して家に残すほど地元では歓迎されてきました。

現代人には読むのは難しいものでした

ですが、これまでに発行されたものは、江戸時代の写本にあった原文と、昭和に発行されたフリガナなしの読み下し文のみのため、常用漢字と現代かなづかいで育った私たちには、読むには難易度の高いものとなっていました。

小松氏がご自身用の資料として作成した「石裂山考(おざくさんこう)」にも、「この物語(皆川正中録)の全体を読んだことがあるという人は意外に少なく、『図書館で見つけて喜んだまでは良かったが、漢字が多くあって、しかもフリガナがないので途中までしか読めなかった』とか『古書店で見つけて買ってきたが、結局は読み通せないままになっている』という声を聞く」と記されています。

1980年に西方町でも写本が発見されました

実は1980年(昭和55年)に当時の西方町本郷の中田益雄家から二千余点の古文書が県文書館へ寄託され、その中に全六巻の皆川正中録の写本があることがわかり、西方町郷土史研究会の荒川哲男氏が解読を行い、そこから小松義邦氏が読み下し文と現代語訳文を作成して、冊子として残したことがあったそうです。

2022年、小松義邦氏がこの現代語訳冊子を発行

2022年、「皆川広照伝」を復刻し、皆川正中録の巻五から翻案された「炎の城 ―西方城物語―」を復刻した流れを受けて、改めて、現代語訳を一冊の本として作成することを思い立ったとのことです。

この本は、西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)が撮影した、城址やゆかりあるお寺などのカラー写真20枚が巻頭を飾り、訳者・小松義邦氏による解説・補足説明が随所に挿入されていて、300年前に書かれた「皆川正中録」を現代の私たちが気軽に楽しむことができる一冊となっています。

下野新聞 掲載記事

刊行情報

2022年5月(令和04年)
A5版・192P
中田益雄家文書
解 読/荒川哲男
現代語訳/小松義邦
発 行/西方南部地区コミュニティ推進協議会
こちらは、栃木市の各図書館でもご覧いただくことができます。

2025年7月再販版情報

2025年7月再販版は
発行/小松義邦
価格/1300円 ※郵送の場合はプラス送料210円。
詳しくは→ 「現代語訳 別本 皆川正中録」再販のおしらせ
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コラムで詳細を紹介

2025.7.2 コラムをアップしました。コラム/江戸時代に書かれた戦記物「皆川正中録」(主人公・皆川広照)の「唯一の現代語訳訳」の価値をご紹介します

小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
ご購入申し込み・お問い合わせはこちら

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「皆川広照伝(近藤兼利 著)」が、63年ぶりに、読みやすくなって復刻されました。

その前に……「皆川正中録」再販のおしらせ
多くのご要望をいただいていた「口語 別本 皆川正中録」が再販となりました。唯一の口語訳冊子です。詳しくはコチラ→ 「口語 別本 皆川正中録」再販のおしらせ

「皆川広照伝」読みやすくなって復刻

1958年(昭和33年)に発行された、近藤兼利 著の「皆川広照伝」が、2021年(令和3年)、読みやすくなって復刻されました。

発行は「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」で、復刻者は小松義邦氏。冒頭に、大川秀子栃木市長からの祝辞が掲載されています。

皆川広照とは

皆川城の最後の城主で栃木城を築城した皆川広照は、栃木市の皆川エリアでは有名な歴史上の人物で、江戸時代に書かれた軍記もの「皆川正中録」の主人公のひとりです。

幻の書だった「皆川広照伝」

ですが、復刻者の小松義邦氏のあとがきによれば、「現在では、皆川氏、特に皆川広照についての書籍としては『下野戦国史~皆川広照の生涯』(大森隆司著)しか目に止まりません。この書の前書きで大森氏が『皆川広照についての最も信頼性の高い歴史研究書』と評しておられる近藤兼利著『皆川広照伝』も、昭和33年発行のもので現在では幻の書になっています。図書館で読めたとしても経年で紙の変色が激しく、活字も小さいので、非常に読みづらい誌面になっているのを残念に思っていました」という状況でした。

復刻への流れ

そんなある日、「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」会長の麦倉信二氏が、郷土史家の小松義邦氏に、「『皆川広照伝』の発行人の落合氏から生前、この書の再刊を寄託されたのだけれど、方法はないだろうか」と相談したことから、事態が動きます。

父・小松義邦氏から聞いた話によれば、数日後、麦倉氏のもとを訪れて次のような申し出をしたそうです。

持参したのは、1958年(昭和33年)発行の「皆川広照伝」の、文字が小さく紙が劣化している誌面を拡大コピーして読み取って、新たに入力して打ち出した数ページのプリントアウト。「この形ですべてを入力し直して私家版として作成するのでよければ、再刊できます。手作り製本なので、大金はかかりません。よろしければご協力します」と。

麦倉氏は、そのプリントアウトの仕上がりと入力に要した期間の短さにとても驚かれ、ご自身の長年の願いが叶うその提案に、とても喜ばれたそうです。

そして、復刻のご承諾を発行者の落合氏のご家族から得ることができ、この復刻版が生まれました。

読みやすい紙面

とても読みやすい紙面となっていて、消えかけていた幻の本を現代によみがえらせることができ、大きな意味ある復刻となりました。

カラー写真が巻頭に

西方町の写真家・古澤悦夫氏(元西方町長)による、皆川城や皆川氏の菩提寺である金剛寺や皆川城のカラー写真が、巻頭を飾っています

下野新聞 掲載記事

刊行情報

2021年12月(令和03年)
A5版・173P
原著者/近藤兼利
復刻者/小松義邦
編集・発行/皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
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なお、皆川公民館 窓口にて、700円にて販売しています。ご来訪が難しい場合は、下記からご連絡いただければ、代わりに購入して郵送いたします。
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小松義邦氏作成、皆川広照関連冊子
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
現代語訳 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
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栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「炎の城 ― 西方城物語 ―」皆川正中録の時代がいきいきとよみがえる

2021年(令和3年)5月に小松義邦氏によって発行された「西方城物語 ― 炎の城 ―」を紹介します。

タイトルとなっている「炎の城」は、この地では有名な江戸時代の戦記物「皆川正中録」の「巻五」を題材に、西方町在住の福地正治氏が著した物語です。

1980年(昭和55年)1月から1982年(昭和57年)11月までの31回にわたって、西方町発行の「広報にしかた」に連載されたもので、福地氏のご快諾を得て、小松義邦氏が誤字・脱字の修正と若干の加筆・訂正を行い、復刻しました。

「皆川正中録」の「巻五」の「深程諏訪山城の攻防」のお話を、大胆にアレンジし、福地氏が「西方太郎左衛門」を主人公にして、その活躍の物語として描いています。

そして、第二部として、「皆川正中録」の「巻五」の上記の続きにあたる「真名子高谷城の落城、深沢布袋岡城の炎上」の口語意訳を、小松義邦氏が執筆しています。

そのあとには「城郭概観」のタイトルで、物語に登場する「西方城、真名子城、深程諏訪山城、布袋岡城、神楽岡城」の説明があり、西方町の写真家・古澤悦夫氏による、合戦の舞台となっている清瀬川原や各城址のカラー写真も挿入されています。

作者の福地正治氏は、西方村役場で複数の課の課長などを歴任されて1998年(平成10年)に退職された方で、公務の傍らに趣味として創作活動を行っていて、そのひとつがこの「炎の城」なのだそうです。

はるか昔に書かれた歴史物語「皆川正中録」の中の西方城をめぐるお話が、福地氏・小松氏により、読みやすく楽しめる歴史活劇となって復活したことは、とても幸せなことだと思います。2025年に国の史跡として指定された西方城址を、素敵に彩る物語です。

2021年6月(令和3年)
A5版・131P
著者/福地正治

編集・執筆/小松義邦
発行/西方南部地区コミュニティ推進協議会

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
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栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

皆川広照・皆川家のバックボーンの「石裂山(おざくさん)」が興味深い

小松氏自身のための資料「石裂山考」

小松義邦氏が2022年に自身のために作成した「石裂山考」という資料があります。多数の書籍や論文の複写を集めたもので、配布物ではありません。「散逸を防ぐために研究資料としてまとめておくことにした」というものです。

なぜ石裂山に惹かれたか

なぜ小松義邦氏が「石裂山(おざくさん)」について考えたのかというと、皆川正中録に「皆川秀光が…石裂の神を信仰するようになった」「広照は……日頃信心する石裂山に向かい…祈りを捧げた」という記述があったためだそうです。

そして、石裂山には、峰をはさんで、鹿沼市上久我に「石裂山加蘇山神社(おざくさんかぞさんじんじゃ)」が、粟野に「尾鑿山賀蘇山神社(おざくさんがそさんじんじゃ)」があって、皆川氏がどちらを信仰していたのかが書かれたものはないようで、小松義邦氏はその点にも関心を持ったそうです。

ここでの掲載内容

この冊子に「まえがき」「あとがき」があり、小松義邦氏の思考の流れが書かれているので、石裂山を研究される方の参考になるのではと思い、ここに編集・抜粋して転載します。

併せて、冊子の目次を、小松義邦氏による「石裂山を知るための資料の紹介」として転載します。

まずは、冊子の目次です。そのあとに、まえがき・あとがきからの、編集抜粋が続きます。

冊子の目次

まえがき・あとがきからの抜粋

(1)石裂山について考えるようになったきっかけ

皆川城内町の街づくり協議会文化部会の麦倉氏の長年の懸案であるという近藤兼利著『皆川広照伝』の復刻版のお手伝いをさせていただいた。

その『皆川広照伝』とペアになる書物に『皆川正中録』がある。

現栃木市周辺の中世の歴史に、皆川広照とその戦物語としての『皆川正中録』は欠かせないものであるが、この物語の全体を読んだことがあるという人は意外に少なく、「図書館で見付けて喜んだまでは良かったが、漢字が多くあって、しかもフリガナが無いので途中までしか読めなかった」とか、「古書店で見付けて買ってきたが、結局は読み通せないままになっている」という声を聞くたびに、このような方々にまず読んでいただいて、それからじっくりと読み下し本に移ってもらえればいいのでは、との思いで、口語訳『別本皆川正中録』の制作を思い立ち、完成させた。

この物語の中で、応永元年の頃(1349年頃)、皆川秀光が将軍に追われて会津田島から都賀郡岩田郷滝の入(たきのいり)に入り、しばらく住まううちに信心の心を起こして石裂(おざく)の神を信仰するようになったという(『口語別本 皆川正中録』13頁)。

その後、天正12年(1584年)に北条氏直らが皆川城に攻め寄せた時、「山城守広照は水浴して身を清め、日頃信心する石裂山に向かい…一心に祈りを捧げた」という(同署73頁)。

この「石裂山の神社」のことが気になり始めた。

石裂山の神が皆川家の背骨(バックボーン)になっているとしたら、もう少しこの山の信仰のことを知りたい、と思ったのである。

そこで、後追い研究になるのだが今までに読んで記憶に残っていた書物や雑誌の記事をもう一度読み直してみたいと思い立ち、手元に積んであったコピーのファイルを捜し、その後に出た書物にも気配りをして図書館通いを続けてみた。

そんなこんなでいろいろ集めた物をまたコピーのままにしておくと紙くずになってしまいそうなので、研究資料としてまとめておくことにした。

(2)各論文等を読んで思うこと

早乙女常郎氏の「勝道伝説と石裂山」(鹿沼市林 第17号)がほとんどすべてを語っていて、細矢藤策氏の貴重な「翻刻 石裂三祠山記」(鹿沼市林 第15号)・「翻刻 おざく山之記」(鹿沼市林 第16号)がその中心にある。

細矢氏の2書は口語訳を作った。この2書を読み継いでゆくと、信仰形態の変化がよく見えて面白い。前書で説く「五心経津尊(ごしんふつのみこと)」の祠が、後世では「御心仏(ごしんぶつ)」から「護真仏(ごしんぶつ)」を経て「御真仏(ごしんぶつ)」という仏に替わり、久我式部が勧請したという「柿ノ本人麻呂(ひとまろ)神社」が「日留神(ひとまるがみ)」に呼び変わってゆくところで変に感心させられた。

また、この資料集の後半に見られる市内川原田町の小野家と賀蘇山神社との関係事項が驚きであった。これら一連の各論を見ていくと、皆川家の石裂山信仰の窓口となったのは入粟野村の賀蘇山神社であろうかと思わせられる。

その理由は、これも早乙女氏が指摘しているように、草鞍戦の26年ほど前に、久我氏の勃興によって加蘇山神社近辺に変革があった。この久我氏らの兵火によって神社が焼け落ちた頃であるとのことで、参拝はもちろんのこと、供物を運ぶ代参も叶わなかったことであろうと思う。一方の入粟野村の賀蘇山神社は、皆川領であったと思われる川原田村・赤津村の信仰団に以前から支えられていたと考えられるので、当時としても、広照の念頭には、入粟野村の賀蘇山神社があったと思われる。

古代の石裂山の神に神位が授けられたことに始まって、驚くほどの参拝客が集まり、山の両側にふたつの神社があった。

それぞれに何があり、どのような推移があったのかをじっくりとお読みいただけるように、順を追って組み立てさせていただいた。

思いもかけない深追いになってしまったが、これはまたこれなりに面白いと思った。

(3)小野氏・川原田の三日月神社のこと

資料後半で読める賀蘇山神社と小野氏の話は、20年前に三日月神社の話と一緒に「目で見る栃木市史」で読んでいたはずであるがなかなか思い出せなかった。市史掲載の三日月神社の話(下記※参照)に興味が沸いて、市史を見終えた足で、そのまま栃木市運動公園の北側にある三日月神社へお参りに行った覚えがある。

※江戸時代後期から昭和の初めにかけて盛〈さか〉った川原田の三日月神社では、1月3日の縁日には参道の両側に何軒も豆腐店が並び、お参りに来た人々がその豆腐を購入して神様に供えるので、神社は供えられた豆腐をうらから豆腐店に売り、豆腐店はまたそれを売る、という、関係者すべて満ち足りて、「豆腐もそれを繰り返しているうちに角が取れてまるくなるという次第だった」という話。

小野氏については、単に書物に遺(のこ)っているというだけではなく、賀蘇山神社に「川原田座敷」と言われる所まであったという記録は、小野家の立派な歴史であり、神社の歴史でもある。また、ひいては栃木市の人たちの確かな歩みでもあったということで、皆川広照家の尊崇した石裂山の神(尾鑿山という文字は地図上には出なくなった)の拝殿は粟野側の賀蘇山神社であったことは充分に考えられる。

太田亮著『姓氏家系大辞典』(角川書店)によれば、小野氏の基本は貴胤(きしゅ)であって、全国的には八十余りの派生があるという。市史にあるような小野朝臣(あそん)道綱の政変上の罪ということはよくあることで、81頁にあるように天皇家内部の争いから伏見天皇暗殺未遂事件が起こるが、それにからまる前後の事情の中からの罪によるもの(ある意味では政治的な犠牲者)であったのではないかと推測される。

では、その流罪になった先がなぜ下野国都賀郡(ごおり)の川原田かというと、川原田あたりは「皆川荘」内であったということと大いに関連していると思われる。『栃木市史』(通史編中世)によれば、皆川荘は嘉禄(かろく)年中(1225~1227)に二品(にほん)親王家に譲渡され、天福3年(1233)には青蓮院門跡領になったとある。伏見天皇の事変は正応3年(1290))なので、こういった皇室がらみの流罪先には皇室系の遠方の荘園が選ばれることが多かったのではないかと思われる。ただし皆川荘の正確な範囲については不明である。こういったことへの深入りは、それはそれなりに面白く、事件の可能性の追求も必要と思われ、『荘園から読み解く中世という時代』武光誠著(夢新書)や『荘園』伊藤俊一著(中公新書)などの手軽な本に、つい手が延びてしまうのである。

(4)石裂山 加蘇山神社 のこと

さて、話は石裂山にもどる。

83頁の「栃木の街道」のうちの87頁に加蘇山神社の年間参詣者数の統計が出ている。これを見ると、多い時は年間1万4千人を超える人が参詣しているとあるが、当時の道はどのようであったのかと思う。先日通った時は昼間でも薄暗いような谷川沿いの山道であった。舗装はされていたが、まったくの一車線で、軽自動車もすれ違えないような道路となれば、再度の訪問の足は遠のくのではないかと思ったりもする。

先程の、『栃木の街道』で教えられた鹿沼市北赤塚の追分にあるという道標、「右 くがおさく、左 あわのおさく」を見に行きたいと思いたったところ、3月22日の雪が降って来たので驚いた。足下を「わらじ」に頼った時代の寒さはどんなだっただろうと、ふと、考えた。

春の淡雪はまだ降っている。

情報

2022年3月(令和4年)
B5版・94P
非売品・非配布品
自身の資料として作成

現在購入できる、皆川広照関連冊子(小松義邦氏作成)
現代語訳 皆川一族 800円
皆川広照の小田原合戦 1000円
皆川広照、再起への道~幸嶋若狭大坂物語を読む~ 800円
皆川家臣帳(改訂版として2025.9再販) 600円
口語 皆川歴代記(改訂版として2025.8再販) 800円
口語 別本 皆川正中録(2025.7再販) 1300円 
復刻版 皆川広照伝 (残部僅少) 700円 ※皆川街づくり協議会発行冊子の取次販売

※郵送の場合、1冊につき送料210円です。
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
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栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「物語 西方軍記・西方三代記」は、江戸時代に書かれたお話の口語訳です。楽しめる!

西方城の城主で現在の栃木市西方町のエリアを治めていた西方氏について、記録の上で分かっていることは西方町史などに詳しく掲載されていますが、いわゆる「生身」の西方氏について書かれた古文書は発見されていません。

ただ、小説(フィクション)ではありますが、江戸時代より西方・鹿沼などの上都賀地方に伝えられて写本として残っている、西方氏を主人公とする軍記ものがあります。「西方軍記」「西方三代記」の2つです。

これらを、小松義邦氏が、口語訳した上で、説明を入れ、読みやすく楽しめるものとしてまとめたものが、「物語 西方軍記・西方三代記」です。2020年(令和2年)に発行されました。

西方軍記は全何巻あったかは不明で、現存しているのが三巻だけ。西方三代記は現存するのが「乾の巻」だけで、昔は全二巻の場合「乾・坤」と呼ぶことが多かったそうです。

下の画像のように、現代の私たちが楽しめる物語になっています。

西方軍記の冒頭には、「おそらく幻の1巻や2巻でなされていたであろう戦国時代の説明」が、小松義邦氏により追記されています。また、「ことばあれこれ」「城跡探索(西方城、大宮城、榎本城)」など、当時がよくわかる内容も掲載されています。

2020年12月(令和02年)
A5版・131P
口語訳・執筆/小松義邦
発 行/西方南部地区コミュニティ推進協議会

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
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小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

祝 西方城址 国の史跡指定!「西方町の地名と伝説の旅」(小松義邦氏・著)が楽しい

西方城址、国の史跡に指定 2024年10月

栃木県栃木市の西方町にある、「西方城址」が、2024年10月、国の史跡指定を受けました。

栃木市役所ホームページの記載によれば、「国の文化審議会は、令和6年6月24日開催の同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、『西方城跡』を国の史跡に指定するよう、文部科学大臣に答申し、令和6年10月11日の官報告示をもって正式に国指定史跡となりました。」とのことです。

『西方町の地名と伝説の旅』

これを祝い、小松義邦氏が、地元郷土史を研究する身として、多くの方々に「西方」の魅力をお届けすべく作成・新聞折込を行ったチラシの内容が下記です。
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祝・国の史跡指定!! 西方城址。
金井に国指定文化財の「鉄造薬師如来坐像」がありますので、このたび西方城が国の指定史跡となったことにより、狭い地域に二つもの国指定文化財を持つ街になります。この機会にふるさとの景色をあらためて見直してみませんか。
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そして、4冊の冊子を告知していて、そのメインとなるのが、『西方町の地名と伝説の旅』です。

小松義邦氏が多数の歴史資料からまとめあげました

本書は、元西方町長・古澤悦夫氏の祝辞から引用させていただくと、「郷土史研究家小松義邦さんが、西方郷各地の『地名の由来』や『伝説』を、古文書等の歴史資料から掘り起こし、まとめあげた」ものです。

48枚の写真を掲載

西方町の写真家でもある古澤氏撮影の48枚の写真の掲載もあり、古来からの風景を残している西方町の美しさを、存分に楽しむことができます。

多数の地名を掲載

地名については、下野国、栃木県、宇都宮、などの広い地名から、西方町内の郷の下にある字(あざ)名まで、丹念に掲載しています。目次を見ると、扱っている地名の多さがわかります。

知識と記憶と想像力

読み進めてみると、地名の由来はどこかに正解が書かれているわけではない、ということがわかります。たくさんの書物を調べて既存の諸説を扱いながら、小松氏が持つ知識と記憶と想像力を武器に、正解かもしれない「由来」へと手を伸ばす、という局面が多数あります。豊かな知的好奇心が翼を広げる風景。それがこの書の楽しさです。

町名である「西方町」の由来について、3つの通説「宇都宮の西にあるから説」「川の西にあるから説」「弥陀の霊境であることにちなむ説」を丁寧に検討していて、その過程で、現存のどの記録にも残されていない寺「阿弥陀山西方寺」の文字が刻まれた鰐口の話が出てきます。そこに「寺を訪れ、軒端に揺れるその鰐口を目にすることができた。江戸時代の風に触れた感激で、大森氏と手を取り合ったことが昨日のように思われる」との記載があります。著者の調査力と想像力と探求心の核にある情熱を、強く感じる一節です。

かっぱ伝説、近津神社の伝説、曽我兄弟の話など

かっぱ伝説や、「近津神社のあまり知られていない伝説」や、曽我兄弟のお話なども登場し、解説されていて、西方エリアの魅力を丁寧に網羅する一冊になっています。

下野新聞 掲載記事

刊行情報

2023年5月(令和5年)
B5版・223P
著者/小松義邦
発行/西方町南部地区コミュニティ推進協議会

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。

お問い合わせはこちら

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。

「真名子の地名と伝説の旅」は、八百比丘尼伝説を持つ、西方町真名子の歴史がわかります

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八百比丘尼伝説に関心のある方は、下記もご覧ください。
真名子の里『伝説 八百比丘尼』を追う(2024年9月・令和6年/A5版・200P)――――――――――――――

「真名子の地名と伝説の旅」は、2019年10月(令和元年)に、小松義邦氏が発行した冊子です。

西方町真名子は、八百比丘尼伝説を持つ、浪漫のあるエリアです。この冊子では、真名子地域の「地名」と「伝説」について、小松義邦氏による調査・研究の結果が解説されています。

2023年5月(令和5年)に発行された「西方町の地名と伝説の旅」にも真名子の地名と伝説についての記載がありますが、その5年前に当冊子は発行されていて、「西方町の……」に紙幅等の関係で収録できなかった内容も記載されています。

後半には、古文書「真名古舊傳夢物語」の読み下し文と、古文書「五代尊八百比丘尼畧縁記」の小松義邦氏による口語訳を掲載しています。

2019年10月(令和元年)
B5版・135P
著作/小松義邦
発行/小松義邦

こちらの冊子は、栃木市の各図書館でご覧いただくことができます。
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なお、在庫がありますので(残2冊)、ご購入希望の方は、下記からご連絡ください。
500円+送料(送料は、1冊の場合は430円、他1冊とセットの場合は合わせて430円)です。
(品切れになってしまった場合はご容赦ください)
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八百比丘尼伝説に関心のある方は、下記もご覧ください。
真名子の里『伝説 八百比丘尼』を追う(A5版・200P/2024・令和06)――――――――――――――

小松義邦氏 略歴
栃木市西方町の郷土史家。
研究対象/真名子の八百比丘尼伝説、皆川広照・皆川氏、西方町の歴史・西方氏ほか
――――――――――
栃木市編入前の西方町にて、町教育員会からの委嘱で1998年(H10年)に西方町郷土史研究会を発足し、史料集めや古文書解読に励む。2011年(H23年)発行の「西方町史」編さん時には一部の執筆を担当し、その後の町発行の「西方町の民俗」の編集も担当するなど、行政から信頼を寄せられる。研究成果を地元に残そうと、私家版として多数の冊子を発行し、地域の図書館への寄贈や、一部の書籍は地元小中学校の生徒に無償での配布なども実施。栃木市皆川町の「皆川地区街づくり協議会 歴史文化部会」からの委託を受けて「皆川広照伝」を復刻。郷土史を研究し、冊子を発行し続けている。